伝統曲のタブー視。

僕の最近の練習方法は、現地で録音してきた曲をコピーする事。

音源を書き起こしたノートに沿って、歌い手とイダキ奏者の二役を一人で録音していく。

これは優れた練習法で、完全なコピーが出来るまで何度も録り直す必要があるので、その過程で身体が曲の形を覚えてしまう。

形さえ身体に入れば、ヨォロンゴ音楽は流れに沿った即興的な演奏が当たり前なので、一言一句を丸覚えする必要はない。コピー後は自分のスタイルで演奏ができる様になる。

頭で覚える作業を省く事ができ、自分の練習した成果を音源として残すことができる。


そろそろ本題に。


そのコピーした音源を先月の滞在に持参し、ヨォロンゴに聞いてもらった様子を書く。

まずはそれを聞いてもらう事に躊躇した。

というのも、アボリジナルの伝統曲に外国人は触れてはいけないという説があるし、僕も過去に友人とコピーした動画をSNSに投稿した際に、苦情のコメントをもらった経験がある。

ということで、まずは初めての滞在から仲良くしてもらってる同世代の友達の反応を確かめてから、僕の運転する車に乗り込んだ人達に次々に聞いてもらった。

結果、ほとんどの人が喜んで聞いてくれていたし、曲の内容、言葉、ダンサーの掛け声のタイミングなどを教えてくれたり、僕の車に乗る度にあの音源かけてくれ。と言われる始末に。

その中で一人だけ。ソングマンのリーダー的な存在の人が、一瞬表情を曇らせた。

話を聞いてみると、意味を理解していない外国人の僕が歌っている音源の存在に疑問を抱いた様子だった。

書き起こしたノートを見せて曲を覚える為に録った音源で公開するつもりは無い事を説明すると、そうゆう事ならと、自らボリュームを上げてニヤニヤしながら聞き、ソングサイクルの意味などを説明してくれた。

この一瞬だけが僕の経験したネガティヴな反応だった。

それ以外はとても歓迎されている印象だった。曲を学ぶ事で彼らとの距離は近くなり、伴奏をさせてもらえたり、大勢の前で歌わされたり、ヨォロンゴがSNSに投稿した僕が歌っている動画を見たと声をかけられたり、言い出すとキリがないけど、どれも彼らは喜んでくれていた。


これは体験からの推測でしか無いが、
彼らは文化を奪われたり、衰退や誤解を招くような扱いを嫌っていて、彼らとの距離を保ち、文化に対して敬意を払って扱う事ができれば、その行為に問題はない様に感じた。

確かにアボリジナルの知的財産権などを言及している文章がアーネムランド関係のホームページで書かれているのを目にする。それは彼らの文化を守る為に必要な公な規則なんだと思う。けれども規則と実際の状況に多少のズレがある事はどの世界にも少なくない。

節度を持って扱う事ができれば、日本国内に伝統曲を学ぶ人々が居ても、彼らに直接迷惑をかける事は無いと思うし、要は扱い方が重要で、ふと口ずさむ歌に著作権法が適応されないように、自分たちが楽しむ分には駄目な理由なんて一つも無い。

この音楽も他の音楽みたいに共有して楽しむ事ができればと、いつも思ってきた。
そんな日の実現の為に、古い情報をアップデートしていく必要性に駆られて苦手な文章を書いている。

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