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もう少しテキトーに振る舞いたい~高田純次『適当日記』を読む~

これからの人生を生きていく上で大事なものは楽しさであり、その楽しさのために欠かせないのは絶対“テキトーさ”だ。
それを最初に学んだのは大学生も半ばを過ぎての事。もうこの世にはいないが、かつて悪友だったヤツがたいそういい加減な野郎だった。
そいつは東京の割と大きい祭りで神輿を担いでいて、おそらくその場の昭和の男たちから、主に酒の席で色々学んできたんだろう。
飲み会での大先輩への接し方や、おばちゃん達から可愛がられる方法など、大人になってから役にたつ?方法を2人で共有したりしていた。
そんなやつが、一際気に入って信奉していたのは高田純次だった。

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とにかくヤツは毎日毎日、高田純次のように振る舞おうとしていたのをよく覚えている。今思い返すと到底本家には及ばないのだが、あの時はお互いゲラゲラ笑いながら高田純次ネタを話すのに夢中になった。

それから色々あってその悪友が亡くなり、数年後に高田純次イズムを引き継いだのはまさかの弟であった。やはり弟も高田純次の一言一言に影響され、じゅん散歩を毎回録画して観直すほどに心酔していた。

そしていよいよ書籍も網羅し始めた弟に、読書するならと買ってあげたのが『適当日記』であった。

さて、この『適当日記』だが、高田純次が還暦を迎えたのをキッカケに執筆が始まったとのことで、数えるともう17年前の作品となる。
そして今年、なんと『最後の適当日記(仮)』が発売になったという。

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自分は高田純次の身内でもなんでもないから、実際に彼がどんな人かなんてことには興味がない。
ただ、じゅん散歩や書籍の中で、彼の振る舞いや発言を見ていると「自分はもう少し人を笑わしてみても良いかもしれない。」と思い直すのである。

亡くなった悪友とつるんでた時は、もっと互いに適当な事を言い合って、それを見ている周りの友達をいかに笑わせるかに夢中だった。そんな忘れかけている振る舞いを、この歳で復活させるのもいいかもしれない。みんな変なところで真面目だから、自分くらいは違う方向性で生きてみてもいいじゃない。

高田純次のエッセイはあの世にいるアホ野郎との日々を思い起こさせ、今のところ“普通の人よりも少しだけ面白い人”に自分を持ち上げてくれている。

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