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上司の心理状態を推し量って周りに細心の注意が払える乱世の梟雄・松永久秀の逸話

こんにちは、両兵衛です。

上司の心理状態を推し量り、周りの人がどう接したらいいかを瞬時に判断して助言する。簡単にできることではありませんよね。

今回取り上げる松永久秀は、謀略や裏切りでのし上がった乱世の梟雄(きょうゆう)といわれます。織田信長が久秀のことを三つの悪事を行った人物であると紹介した逸話があります。

一つ、将軍足利義輝を討ったこと。
一つ、主家である三好家を乗っ取ったこと。
一つ、東大寺の大仏殿を焼いたこと。

実は最近の研究では三つとも誤解であり、梟雄というのも後世つけられたイメージではないかといわれはじめています。久秀は優秀であることはもちろん、三好家のために仕えた忠臣だったのではと。

ちょっとこれまでとは真逆なイメージすぎて、初めて聞いた時には驚きました。その影響か大河ドラマ「麒麟がくる」で吉田鋼太郎さんが演じられた久秀は、過去のドラマとは少し異なる描かれ方をされていました。

今回の逸話は、三好家の内輪揉めもあり、久秀が京に進出してきた信長に仕えるようになった後の話です。

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信長が越前(福井県)の朝倉氏を攻めたときのこと。

信長の妹婿である北近江(滋賀県)の浅井長政が裏切り挟み撃ちにされそうな危機に陥った。

信長は殿(しんがり)を羽柴秀吉や明智光秀に任せ、わずかな供回りとともに京へ逃げ帰ることにした。

その途中、琵琶湖の西にある朽木谷(くつきだに)にさしかかった時、その地を治めていた朽木元綱が甲冑に身を固め手勢を率いて信長を迎えた。

その様子を見た信長の供の一人、松永久秀が元綱のところへ行き

「信長公をお討ち申すのか」

と言うので元綱は驚いて

「とんでもない。警護のためにお迎えに参ったのです」

と答えた。久秀は、首を振って言いった。

「いや、それなら甲冑を脱いで迎えられよ」

すると元綱も、はたと気づいて甲冑を脱ぎ、兵を遠ざけて信長を迎えた。

信長は大いに喜び、元綱を案内役として無事に京へたどり着いた。

この場面、信長は信頼する義弟・浅井長政に裏切られた直後です。次は誰に裏切られるかと疑心暗鬼になっていたとしても不思議はありません。

そんなとき甲冑で身を固め兵を引き連れて行こうものなら、せっかく出迎えた元綱が裏切者と疑われていたかもしれません。

梟雄であれ忠臣であれ、名を成す人というのは、人の心理状態を推し量って、周りに対しても細心の注意を払うことができるのでしょうね。

いろいろあって後に久秀は、信長に二度歯向かうことになります。二度ということは、冷酷といわれるあの信長が久秀を一度許しているのです。それだけでも、失うには惜しい人物だったことを表している気がします。



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