文明6年(1474)2月16日は一休宗純が後土御門天皇の勅命で大徳寺の住持に任ぜられた日。応仁の乱によって焼失した伽藍を堺商人らの援助で復興させたが寺内でなく薪村の酬恩庵に住んだ。世俗的な権力抗争に憤慨して寺を去ったというが復興指揮は執るも距離は保つのはどんな想いがあったのか。

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