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なぜ「近寄るな」と言ったの?

私は昭和39(1964)年に神奈川県川崎市に生まれた。1回目の東京オリンピックの年、高度経済成長の真っただ中だ。小学校に上がったのは昭和45年。当時の川崎駅には駅前広場や線路の下をくぐる出来立ての地下道があって、隣町の私立小へ駅前からバスに乗って通学することになった私は、毎日その地下道を通っていた。

かなり幅が広かったように思うのだが、川崎市の記録映像を見てみると記憶よりもかなり狭い。幅は6メートルだそうだ。

昼間でもほの暗かったその地下道の中ほどの壁際に、ときどき、白い服を着て帽子をかぶったおじさんが四つん這いになっていた。前には小さな入れ物が置いてあった。

親と一緒に地下道を通ってそのおじさんを見かけたとき、「あれはショウイグンジンだ」と教わった。戦争でケガをした軍人さんだという説明もされたはずだ。でも、そこでただ黙って四つん這いになって何をしているのか、明らかな説明はなかったと思う。

そのショウイグンジンさんに手がなかったか足がなかったか、あるいは目が潰れていたかは覚えていない。入れ物のほかに口上書きのようなものが置いてあったかも覚えていない。でも、その姿に私の目はいつも釘付けになった。その全身から発せられている、なにか言いようのないものに。

なのに他の大人たちはみな、まるでその人に気づかないような風で通り過ぎていった。

一度だけ、一人のおばさんがその人になにか声をかけながら、入れ物にお金を入れるのを見た。私も子ども心に、困っているならお金をあげたらどうか?と思い、おそらく親にもそう聞いたのだろう。父は「近寄るな」と言った。それだけはよく覚えている。

先日、たまたま読んでいた本に、故・大島渚氏が昭和38年に民放向けに制作したドキュメンタリー番組「忘れられた皇軍」の話が出てきた。「第2次大戦で日本軍の軍人・軍属として戦傷を受けながら、戦後は満足な補償を得られなかった『元日本軍在日韓国人傷痍軍人会』の人々を追った伝説の作品」だそうだ。DVD化されていないとのことで、いま見たくても見ることはできない。が、ネット検索して出てくる内容紹介を読むだけで涙が溢れた。川崎の地下道が思い出された。

もしかするとあの四つん這いのおじさんは韓国の人ではなかったかもしれない。もしかしたら、大反響を呼んだというそのドキュメンタリーを見た人が、それに乗じて「ショウイグンジン詐欺」を演じていた可能性だってあるかもしれない。お金を入れたあの女性も、いまの私も、テレビのセンセーショナリズムに簡単に感化される浅はかで無知なおばさんなのかもしれない。

でも、実はそれらは本質とは関係ないかもしれない。

こうして「忘れられた人たち」は確かに存在して、その悲しみ苦しみは現実のものだった。

私はウヨクでもサヨクでもない。昭和の歴史を巡る日本人の「被害者意識」も「自虐史観」も、責めるつもりも擁護するつもりもない。そんな主義主張は一切持ち合わせていない。

でも、社会から顧みられない他人の悲しみや苦しみに対し、救済はおろか共感さえ不可能だとしても、一緒に涙することならできる、それこそ人間ではないか。今この瞬間にも、そういう人たちはきっと存在する。私は最近流行りの「誰ひとり取り残さない」というスローガンに漠然とした気持ち悪さを感じていたが、今回の涙はそれとは別次元のところから湧いてきた。

パパ、なぜあのとき「近寄るな」って言ったの?

遺影に話しかけても返事はない。

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