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マダガスカル旅行記<マダガスカルのリアル>

(4月のマダガスカル旅行のつづき)

アンタナナリボの市内ウォーキングツアーに参加しました。
このツアーは市内にあるPlace de I'Independanceという公園に小さい観光オフィスがあって、そこに行って申し込むと参加できるという緩いツアーでした。


観光案内所
公園から階段を降りると雑多な市場が見えますが、治安が良くないということで連れってもらえませんでした。



さて、この建物なんだと思いますか?

実はこれ、「洗濯小屋」なんです。
マダガスカルでは電気洗濯機がないのでほとんどの人たちが手で洗うらしいです。お金持ちはこのような洗濯小屋にお金を払って、自分たちの洗濯をしてもらうとのこと。
この小屋の中では10人ぐらいの女性たちがゴシゴシ洗濯物を洗っていました。ガイドさんが、「日本ではたった4分間停電が起きたら、電力会社の偉い人が頭下げてたって聞いたけど本当?」
そうねえ。日本は停電起きるほうが稀だからねえ。。いろいろ考えさせられます。


アンタナナリボの道路。ガタガタで穴ぼこだらけ。車の運転は至難の業。


こんな感じでガタガタ。歩きなれた靴じゃないとねん挫しそう。


マダガスカルが独立したのはつい最近のこと。まだ50年経ったかどうかという感じです。個人的には、フランスはそもそも植民地化が下手くそだし、インフラ整備も苦手な人たちだと思っています(パリの街を見ても分かるとおり)。「おめーら統治するスキルもないのに他国を植民地化なんかやるなよ」と思う国の1つでもあります。

27歳のツアーガイドさんが英語で説明してくれました。マダガスカルはフランス植民の前に一度英国の宣教師たちが来たが当時の女王が全員殺してしまったそうです。その英国宣教師たちが建てた教会がこちら。亡くなった英国宣教師たちもここに埋められている。

女王に殺された英国教会の宣教師殺はここに眠っている。


ただし、バニラや香辛料やカカオがここからフランスに持ち帰られてフランスの食文化に貢献したんだなあと思うと、それだけは良かったと思ってしまうわがままな私。さらに植民地化したローカルの人たちに思ったほど嫌われてないフランス人はさすがだと思います。

マダガスカルには信号が1つもありません。道路に線もないです。住所もきちんと整備されてないのです。すべての道の名前がついてないし、あったとしても市民に浸透してないから、今どこにいる、というのが正確にわからないそうです。「どこどこの近くにいる」と表現するしかない。

車は多いが中古車ばかりなので真っ黒い煙を出しています。空気汚染がひどい。ゴミもそこら辺に貯まってます(週に何度か回収車が来て、街のはずれに持って行ってるだけ)。道路交通法などのルールはあってないようなもので、みんな縦横無尽に走っている。お見合いになったとき、優先される車がどっちか決まってるらしいけど誰も守らないらしい。理由は、警察が取り締まらないからだと言います。取り締まろうとしても誰も守らないから意味ないんだろうなあ。

道端には物ごいがたくさんいます。

赤ちゃん連れの物ごいもいるし、高齢者もいる。歩いていると物を売りに来たり、片手を出して恵んでくれという人もいます。ほとんどの場合、無視されてるから成功したことはあまりないんだろうけど、他のやり方を知らないんだろうと思います。貧しい子どもたちも学校に行かずに道路に出て物ごいをしてるか、大人に混じって物を運んだりしている。でも飢えないし、凍えない。ここが北半球とは違うところ。

大統領官邸。ホテルルーブルの裏にある。
道路では、人もバイクも車もなんでもばらばら自由に走っている。



真新しいサッカー競技場。外側の壁には選手の写真が。


アヌシー湖。人口湖でハートの形をしている。手前にある赤い旗は「大雨洪水警報が出たら、この上まで逃げなさい」という印。つまり、この旗よりも下に住んでいる建物は「沈む」ということだ。


火事で燃えてしまって現在再建中の女王宮。いまは工事中で入れないし、写真撮影も禁止されているので遠くからこっそり。


古い型の白いフランス車はタクシー。すぐ壊れるそうなので怖いので敬遠した。

アンタナナリボ市内から遠くの丘に見える水色の建物とその周りの小さな白い建物は、アルゼンチンの神父さんが25年前にマダガスカルのホームレスやごみ溜めに住む極貧の人たちのためにつくった住居施設、Akamasoa。
各家の前には畑があって食料を自給自足できるような工夫があるそうだ。


極貧の人たちのためにつくった住居施設、Akamasoaは、丘の上の水色の建物群。


停電が起きるので、ホテルの部屋にろうそくがあるのがデフォルト。幸い一度も使ってない。

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