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生きる覚悟をもてるようになった


いつからか忘れたけど、生きたいと死にたいで迷うようになった。多分中学生の時から。

昔から、
「あなたの時間は、お金持ちが50億出してでも書いたいというほど価値がある」
とか
「生きてるだけで丸儲け」
とか
「保険には入ってた方がいい」
とか
「将来の理想の生活は?」
がよく分からなかった。


だって10年を何十億かで売れるんなら、絶対売った方がいいと思ってた。
こんなに辛い日常やからそれがお金に変わって年も取れるなら最高やなって思考で。


生きてるだけで丸儲け?
生きなかった方が丸儲けだろ。
消えた方が楽だろう。
儲けよりも損の方が大きい。
そう思っていた。


保険なんて入っても、自分が何年も生きている保証なんてないんだから、入る意味ある?


理想の生活とか知らんわ。
理想を言うなら死にたい消えたい何もしたくない。
理想なんてあるから、現実とのギャップでしんどくなるんだ。

とか思っていた。

ここ10年間はずっとそうだった。
将来の理想の話とか話す前に、まず自分が今のしんどいという状況から抜け出したかった。それが最優先だと思った。


お金を稼いだら何か変わるだろうと思って、高校1年生で起業してみてもあんまり変わらない。不安とか緊張とかはお金を稼いでも感じる感情だった。
感じる感情や欲求というものは、お金があるなし関係ない。


お金があっても、
幸せに感じる考え方をしていないと自分が思ってるような楽なしんどくない生き方はできないんだなーって気づいた。


やっぱり世の中お金じゃないよ。


お金があったとしても、LIVE前に緊張する心は消えないでしょう。
お金があったとしても目の前の人を自分が笑わせられる訳じゃないでしょう。
お金があったとしても楽しいとか感謝とかを感じない心だと意味ないでしょう。


仲間ができるわけでもないし、ゲームが上手くなるわけでもない。内面がかっこいい自分になれるわけでもない。

夢を叶える途中で得られるものが、お金で得られるわけじゃない。


そうだろう?


そうして大学生になって、僕は自分がやり続けたいこと・幸せに生きる為に何が必要なのかを探し始めた。


夢とかやりたい事があるのが幸せに生きる為に必要なものなのかと思ったけども、そもそもやりたい事は幸せに生きてる人が見つけられる物なんじゃないかって気がした。


まず自分の生きづらさとか欲求を満たさないと、見つからないものなんじゃないかと思う。マズローの五段階欲求説みたいにね。


今振り返ってみると僕の場合は、
安心信頼できる仲間を持つことと、自分のことを堂々と伝えられる自分になることだった。


過去の人間関係のトラウマや人間不信をなくすほどの素晴らしい人達に巡り会えたことが、僕にとっての幸運だった

僕のことを信じてくれる。
愛してくれる。
期待してくれる。
大事にしてくれる。
僕は1人じゃない。

人って素晴らしい
やっぱり愛を信じてもいい
優しい世界だ
周りの人を見ていると、そんなことを思える。


まさに、僕は小さい頃からそう思いたかったんだ。


後は自分の表現ができるようになったこと。
自分の話ができるようになったこと。
しょうもない事でも共有できるようになった事。
小さなお願いができるようになった事。
分かり合おうとできるようになった事。


雑談もできるようになったし、バイトの休み方も知ったし、会話の楽しみ方も分かってきた。
何を言ってよくて何を言ったらダメかが分かってきた。

言いたいことと言うべき事は分けた方がいいらしい。時には我慢も必要だ。

だけど自分の好きなものややりたい事はちゃんと伝えていい。否定されるのが怖かったから分かり合おうとしてこなかったけど、そんな人はほとんどいないことを知れた。

し、ほとんどの人は応援してくれるんだと気づいた。これからはみんなでシェアハピをしよう。


嫌われるならそれまでやなあ。
まあ他に僕のことを絶対的に好きでいてくれる人が居るから問題ない。
そう心から思える。


最近は死にたくないです。


熱が出たら毎回「死にたい、お母さん殺してくれ」って懇願してたのに、最近の風邪で死にたいと思わなくなった。

初めてのライブでは泣くほど感動して衝撃だったRADWIMPSのライブが、娯楽に感じるようになった。


まだ死にたくないよ。


もっと沢山の人と遊びたい。
カラオケに行きたい。
サウナに行きたい。
夢を語りたい。
一緒にプロジェクトをしたい。
安心感を追求したい。
生まれた意味を遺したいよ。


なんか生きてたらいいことありそうな気がするもん。


どうやって面白いことやってこうか。
今なら自分を信じられるよ。

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