クリストファー・クロス「RIDE LIKE THE WIND風立ちぬ」シングルストーリーズ

レコード会社ライノの公式HPに標題の記事があったので私訳しました。

 1980年2月16日の週、音楽界に一人の新しいアーティストがおおやけに招待された。

 クリストファー・クロス。テキサス州サンアントニオ出身の彼のデビューシングル「Ride Like the Wind」は、ビルボードのHot 100で61位にランクされた。この曲は、1980年4月25日に2位を獲得するまでチャートを駆け上がった。その週のアメリカでの1位はブロンディの「コール・ミー」。

 アシッドを使用して書かれた彼の曲は悪くない。

「この曲の面白いところは、僕のバンドが毎晩演奏していたポール・マッカートニーの『Nineteen Hundred And Eighty Five』という曲の途中で長いジャムになったんだ」とクロスはSongfacts誌に語っている。奇しくもマッカートニーに会ったばかりで、彼には言っていないんだけど、『Nineteen Hundred And Eighty Five』の長いジャムの中で、僕はあの『バ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ』をやったんだ。曲のあの部分をやったんだ。そうしたら、すごくいい感じだと思ったんだ。何か魔法がかかっているような気がして、それを中心に曲を作った。それが曲の最初の部分で、あとはそれを中心に作っていったんだ"

 この曲に歌詞をつけるとき、アシッドの出番になった。"言葉がなかったんだ。当時ヒューストンに住んでいて、曲をレコーディングするためオースティンに向かう途中のちょうどテキサスの美しい日だったんだ。僕はアシッドを飲んだんだ。

 ギターを弾くこのアーティストは、自分の音楽の幅広い遺産に関してもユーモアのセンスがあり、「Ride Like the Wind」に寄せたストーリーに "クリストファー・クロス、ついにメキシコ国境に到着 "という見出しを「かなりクール」と指摘する。

「僕はたくさんのカウボーイ映画を見て育った。例えば『ローン・レンジャー』とか。悪者を追いかけるカウボーイの連続ドラマでね。メキシコ近くのサンアントニオに住んでいたからメキシコに行けば権力から逃れられるというアナーキーな魅力が常にあったんだ」とクロスは回想する。「メキシコの国境に行くことは、僕にとって魅力的なことだったんだ」。

 セルフタイトルのデビューアルバムのインナースリーブで、クロスは友人で1979年に他界したバンド、リトル・フィートのアーティスト、ローウェル・ジョージにこの曲を捧げている。(了)


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