Xデザイン学校第9回 アクティングアウト

感じ取る手段としてのアクティングアウト

今回はアクティングアウト+発表という流れでしたが、私たちのチームではそれまでに、サービスの根底にあるUXパターンが、しっかりとサービスに根付いているかをチェックしてきました。

その分、おそらくサービスの体をなしてはいたものの、そのサービスに危険はないか?という大事な大事なチェックポイントを見過ごしていたようです。我々のサービスの元ネタの一つはUberですが、実際にUberの運転手が増えすぎて生活が困窮したり、乗員が顧客を射殺する事件も起きていたようです。

もしそのことを知らなくても、アクティングアウトを実際に行うとき、利用するユーザーを深く理解し、そのユーザーになりきれていれば、この違和感に気づけたかもしれません。少なくとも普段の自分は、安全性や信頼感、さらには個人的な納得感を得てからでないと、サービスを使うことはありません。

全く違うペルソナを対象とする場合は、身体的で言語化されにくい部分を知っておかなければ、大変な手戻りが起きてしまいそうです。(ユーザーの発言ではなく行動を見ろというのは、こういう部分にも繋がってくることなのでしょう。)

資料からは判断できない既視感や違和感を、身体レベルで感じ取るのは、アクティングアウトの大きな目的の一つだと思います。

伝える手段としてのアクティングアウト

他チームの講評の中では、「動きがない」といった指摘がありましたが、なぜ動きがないとダメなのかを自分なりに考えてみました。

表現としてのアクティングアウトで重要なのは「世界がどう変わったか」をアピールすることであって、アプリ利用のスムーズさより、実際の経験・体験の変化にフォーカスする必要があると解釈しています。

逆に考えると、アクティングアウトでどのようなシナリオを描いたか、というのは、開発した人たちがどの部分にフォーカスしているのかを表現するのかもしれません。

12月の京都WSと今回のWSを通して、アクティングアウトの本質的な目的は以下のチェックをすることだと考えています。

・そのサービスは世界を変えられているのか
・本当にそのサービスが嬉しいのか、腹落ち感はあるか、違和感はないか
・ブラックボックスはないか

おわりに

定性的調査の技術やコツはまだまだ磨いていく必要がありそうですが、それよりも「学びを捨てる」という、生きる態度そのものを学べました。控え目に言って、人生が変わったと感じています。
みなさん、9ヶ月の間、本当にありがとうございました。
2019年度の講座でも、よろしくお願いいたします。

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