自分の好きなこと

3月28日木曜日、晴れ

一昨日のこと。
cakes の過激な記事にあった「好きなことをすればいい」「嫌いなことはしなくていい」を読んでから心がざわついている。

人に伝えるための誇張はあるだろうし、耳目を引くために10割り増しくらいの勢いで書いてあるのかもしれない。

でも確かに、おもうんだよね。この先の残り時間を考えて、したくないことで時間を食いつぶしていくつもりか? って。
一方で冷静に考えたほうがいい、そうおもうこともある。

したいことを我慢して、したくないことをしているか?

ひとつには「したいこと」があるのかってこと。したいことがあって、それがしたくないことで押しつぶされている。そうであるならしたくないことを辞める方法を考える意味はあるだろう。

不満は、誰だってあるだろう。

面倒だ、つまらない、つらい、疲れた、もうやめたい……

でもその反対側に自分が「心から」したいことがあるのか。ワクワクしながら取り組めることが、失敗しようが恥をかこうが石にかじりついてでも叶えたい夢が、あるのか。
あるなら、そっちに行けばいい。それがないなら、ねえ? ないものねだりの逃避にすぎないんじゃないのか? って。

※嫌を押し殺し鬱屈を募らせて心身を壊すようでは元も子もない。こういう場合は除く。──ああ、でも。心が壊れかけているときって逃げるとか自分を守るっていう感覚、なくなるんだよね。(脱線してるな……)

やってみる前に尻込みしているだけではないか?

なにごとも、始める前が一番怖い。僕たちは未知のものに恐怖を覚える。(場合によってはワクワクもするんだけれど)

食わず嫌いってことが、ありはしないか? 挑戦するのが怖いから、先に「あのぶどうは酸っぱいんだ、だから僕はいらないんだ」と予防線を張っているんじゃないか? 「したくないこと」に分類している事ごとに、まだ始めてもいないけれど「ないわー。それは、ないわー」、頭で考えるだけで除外していることがあるんじゃないか?

たとえばエンジニアをしていての「管理職」とか。(僕が仕事をしてきた経験のなかで、「かっこいい! 真似したい!」とおもえる管理職ロールモデルがない。だから僕は管理職はしたくないなあ──とおもっている。残念、あるいは幸運なことに役職オファーを受けたこともないのだけれど)

* * *

まあ、記事に戻ると、実際に「したくないこと」「嫌なこと」で時間を食いつぶすことはやめていい。そういう勧めなので(くだくだ書いたけれど)後者はハナからターゲット外だ。

加えて、いきなり今の職をほっぽりだすなんてことも勧められていない。いま与えられている責任の中でしたくないことをひとつずつ、わがままを通して自分の職責からパージしていけばいい。そうしていく中で自分の好きが見えてくるよ。そういう話だった。

うん。いいこと書いてあるな。

* * *

ところで。

今日、これから出さなければならないパッチバージョンだとか、近い将来にリリースするマイナーバージョンアップ版だとかの仕様をぼちぼち整理していた。

そして気がついたんだけれど、僕はこういった作業をさほど苦におもっていない。というより、整理して構造を与えていく作業だという見方をするなら、好きだな、と気がついた。

からまった糸を解きほぐしていく作業も、そしてバラバラになったピースをつなぎ合わせて絵を完成させていくことも、手順を繰り返して効率よく実行できる作業手順を組むことも、構造を組み直して新しい構造を作ることも。

そして、これって僕が大好きな「プログラムを書くこと」の別の表現なんだ、って。

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