伝わらないことに感じる怖れ

6月20日木曜日、曇り

昼前から雨が降るという予報だったけれど帰宅するまで降られずに済んだ。梅雨だというのにこんなに雨が少なくて大丈夫だろうか?

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今日は電話会議に打ち合わせ、そしてその他空いた時間のほとんどをコードレビューに費やした。なんどか昼の打ち合わせで話をしていたから伝わっているだろうとおもっていたことがあり、その核心部分がすっぽり抜け落ちて提出されたプルリクエストを見て「どうしてだろう?」とぐるぐるしてしまう。

まあどうしてもなにも、伝わっていなかったという事実。この事実だけは動かない。

口でどれだけ言っても、やっぱり記録が残っていないとダメ。読み返してチェックできるようになっていないとダメ。記録があるだけでもたぶんダメで、折をみて適切に中間レビューを入れるだとかそんな工夫も必要だろう。

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動けばいいという考えかたは、ある。そして製品開発の現場では、いまのところ「とにかく動くこと」を優先しなければならない事情がある。それは、わかる。

わかりたくないけれど、わかる。

ただ、やっぱり譲れない一線というものはあって。きっと僕はその一線の引きかたが厳し目なんだろう。
譲れ! そうおもわれているんだろうなあ……。

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前に注文してもらったものが届かないんだけれど? 父ちゃん、受け取ってないよね? こどもに確認される。うん、受け取っていない。
じゃあ問い合わせておくよと請け合い、そして今日返ってきた返信を(ラインで)伝えておく。

「り」とだけ返信が返ってきて、それが何にたいする「了解」なのかがわからず不安になる。

* * *

僕は、コミュニケーションに関して、歪んでいる。

僕は、僕がおもったとおり、感じたとおりのことを他人にそのまま理解してもらいたい。1ミリの誤解もなく、1グラムのもれなく全部受け取ってほしいんだとおもう。
開いて確認はしなかったけれど、ラインのトークや社内のチャットなど、僕の埋めたコメントの物量。人が二言、三言で済ますようなところ、僕は3行、4行の長文を埋める。

僕は、僕がほしい回答があって、そのとおりに答えが欲しいんだとおもう。

もちろん、そんなのは無理だ。他人は他人で、僕じゃないので、僕のようには動いてくれない。僕のおもうとおりには答えてくれない。

先日読んだ『ナイルパーチの女子会』が重苦しかったのは、きっと栄利子の思考と行動が僕と重なったからだ。いろいろ考えて、僕は僕が一番ストレスが少なくなるよう人に動いてほしくて、答えてほしくて、そしてそうなるよう言葉を溢れさせているんだろうとおもう。

誤解されても、おもったとおりの答えが返ってこなくても、望んだとおりに動いてもらえなくても、それを当たり前と涼しく受け流せるようになりたい。

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