ちょう鼻がかゆい目がかゆい

3月8日金曜日、晴れ

ひどかった。花粉がホントひどかった。こここココココ、殺す気か!
(おもわず『虚構船団』のホチキスになりそうな感じだ。ページ右から左にかけて横一列に「コ」の字の針を飛ばす)

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お昼はチキンカツ定食。ソースをざぶざぶに絡めて食べるカツは背徳の味だった美味。

自分がどれだけのコストをかけて働いているか知ったらもう少しやる気が出るんじゃないかとのたまった後輩の話を聞いていて、若いって真面目だなすごいな…… とおもった(もちろん言わない)。

僕らは自分の仕事の価値を知らない。自分で自分の仕事に「値段」をつけることを怖がる。ひとつには「適正価格」を知らないからだし、ひとつには自分の仕事に自信がないからだろうし。
アメリカあたりなら(庭の芝刈りだとかシッターだとか)労働を対価として換算することを幼い頃からやっていて、だから仕事と値段というものを、請求する側も支払う側も肌感覚として持っているんだろう。
翻って日本だと労働は美しくも無償奉仕が基本。小学生の頃から昼の給食の後で清掃の時間って、あったよね? 校舎の周りを清掃して回ったりゴミ拾い運動なんてのがあったり、土日の早朝に市民清掃なんてのがあったり。

「感謝の気持ち」という言葉でがんじがらめにされて、労働が対価を伴ってなされるものだという感覚が殺されている。働いたからこれだけちょうだいというのは憚られるし、「これだけ」の感覚がわからない。言われたらギョッとするだろうし、そうでないにしても「この程度」という感覚が分からない。
要は「お金」に対する感覚があまりに未熟なんだろう。不慣れというかウブいというか。もちろんスレてりゃいいってものでもなかろうけれど。

絵を描いていくら、演奏していくら、調理にいくら、作品にいくら、プログラムにいくら。この感覚が育てばしばしばネットで見かける「買い叩き」「買い叩かれ」の不幸は無くなっていくだろうし、この30年停滞している日本経済とやらもちょっとは動き出すんじゃないだろうか。(ひとえにお金の使い方が下手くそという点に尽きるので)

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ところで Nintendo Labo VR キットというのがたいそう気になる。

19年4月12日発売予定とあるけれど、どこにも予約の受けつけが見当たらない。

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