誇りに対する扱い

10月17日木曜日、曇りときどき雨

スキルマップを書いてくださいという話が降りてきている。
曰く、社員の保有技術を知り弱点強化に役立てたい。
曰く、高度スキル持ちへのプロジェクトオファーに使いたい。
曰く、匿名化したデータと比較して各人の奮起材料にしてほしい。

まあここまでは、わかる。
理解できないのは、その格付けを各人の裁量に任せるというところ。

そのデータの基準点がゆるゆるグダグダな数字を使って、弱点(あるいは強み)がわかるのか? 高度スキル持ちだと野心に燃えるワナビーが詐称してプロジェクトアサインに回したりって地獄じゃないか? あるいはできるようになればなるほど「わからない」と過小評価する高度スキル持ちを埋めてしまうんじゃないか?

いろいろもやもやするんだけれど、どこだろう? 一番のモヤモヤは。

考えてみるに僕は自分のプログラミングスキル、アプリケーションを実装する能力に誇りをもっている。それを「そこまで真剣にならなくてもいいから」「だいたいの気持ちで」「でもある程度の信頼性も出るように」という、いかにもふわっとした──厳しい言いかたをすれば「いい加減な」ゆるさで問われているこの事実に対して、だ。

飯の種。棒給の査定がなされる、その核心。

めちゃくちゃ真剣なんだよ、これに。
賭けているんだよ、人生のかなりの部分を。
それを、なんとな〜く、なんてゆるさで測られたらたまったもんじゃない。バカにするのも大概にしろってんだコンチクショウ。

* * *

今週末土曜日のセミナー、

に向けて、自分でも発見器を書いてみている。とりあえず全状態を尽くす幅優先探索は書けるようになったっぽい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?