信頼できない、ということ

9月13日金曜日、晴れ

メモ帳と鉛筆を忘れてしまい、行き、帰りの電車での考えごとがほとんどできず。いまだに紙と鉛筆でなければ考えをまとめられない。練習して慣れれば、あるいはスマホのメモアプリと指で不自由しなくなるのかもだけれど。もしくは iPad mini と Apple Pencil? でもあのサイズは手に余るんだよな。片手で持って扱うには、金額的な観点で精神的負担が大きすぎる。重量も、そうだね。メモ帳の軽さに比べて電子デバイスの重さは堪える。

* * *

ここ3週間ほど、ずっとレビューしてコメントを返しているものの満足いく修正がなされず承認できないプルリクエストがある。核となる情報は伝えているつもりなのだけれど、やはりうまく伝わっていないみたい。

人に、考えている内容を、望むことを、伝えるのってほんと難しい。あるいは人が伝えようとしていることを、上手に掬いとることも、また難しい。

まあ、だからこそ理解しようと真剣になるし、その真剣な気持ちが伝わればこそ努力が続けられるってものなのだろう。(でも、正直なところ面倒。伝えたいことを即座に汲みとってくれれば楽だし、こちらが受け取りやすいように伝えてくれたら楽だ)

* * *

市の広報誌の裏表紙に『トクイのカケハシ』という実証実験の広告が付いていた。「わたしはこれができる」というのを時間いくらで、と登録でき、あるいは「わたしが必要なことにこれだけ出せます」というのを登録できる。

僕が自分の提供できる得意といえば、仕事にしているプログラム関連だろう。でもアプリ作成代行しますなんてガバガバな登録はできないし、あるいは作りかた教えますというのも難しい。

作りますと一口に言っても種類や規模で難易度は劇的に変わる。ログハウスから50階建ての超高層ビルまで、人が住むという目的を果たす建物は様々なバリエーションがあって、アプリの開発も似たようなもので、様々な規模・難易度がある。一方、建築物は見た目で難しさがわかるけれど、アプリは手の平サイズに収まる端末で動くものだから、それほどまでに劇的に難易度が違うのだというのが発注者に伝わりにくい。それを理解してもらう時点でたいそう骨が折れる。

そして教えますというのも同様の理由で、どの程度のものを作りたいか、要求は多様で、それらすべてに応えられるような技術は持ち合わせがない。さらに受け手にも高度な能力が必要とされる。教えたことを吸収してほんとうに作れるようになるか? というと、きっと無理だろう。

つまり僕のトクイは、人に手渡せるようなものに、なっていない。

では欲しいものをお願いできるか──と考えると、それもまた厳しい。前段で書いた、きちんと与えられる気がしないので無理というのと相同で、僕の人に望む期待値の基準は非常に高い。
うん、まあここでいいよとは言えない。たぶん言えない。(言うかもだけれど、心の底から受け入れるのは難しいとおもう)

どちらが鶏で卵なのかわからないけれど、人を信頼することが、僕は苦手なんだろう。僕は人に受け入れてもらえるとおもっていないし、だから僕は人を受け入れられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?