見出し画像

やっぱり写真は真実を映すと思うんですよ。

はじめに。
タイトルの写真は友人のモデルと共通で好きなB'zの楽曲をイメージして撮影しようと遊びに行った時のもので、後で編集した時にグレーの諧調が綺麗だなと思って仕上げました。裸足の女神になっているかは分かりませんが、波と素足と白ワンピっていいですよね。

さてさて本題に入ります。

2021年当時の僕よ、よくこれを書いてくれた。
ほんとよく書いてくれていた。

2023年の10月末。
気づけばこのnoteを書いてから二年が経過していました。
いつのまにか青い鳥は飛び去り、未知を表す記号となったSNSでは今もこの話が続いています。

写真は真実を写すと書くが英語のphotographはphoto(光)とgraph(描画)だから本来は光画と書くべきなのだ。
写真に映る真実ってなんですか。
そもそも真実ってなんですか。

見つけにくいものですか。
カバンの中も、机の中も探したけれど見つかりません。
そんな写真の真実ですが、
きのこ派たけのこ派、町田は東京か神奈川か、夢の国の領有権、鮭はサケかシャケか、これまでもさまざまな争いが起き、今なお続いています。写真の真実も同じくきっとこれからも写真がある限り永遠に続くことでしょう。
それでいいと思います。
まだまだ探し続けます。
いいぞもっとやれ、踊れ、炎上しろ。

僕は写真には真実が映ると信じる側の末端としてこれからも真実は映ると言い続けると思います。
そんな僕の今のスタンスはこのようになります。

写真に写ったものには真実は補足できていないかもしれない。
だけど写真を撮る行為はきっと真実の一端に触れていて、
写真撮影は真実に迫るためのアプローチであり、
写真にすることで真実の片鱗を観測できるのかもしれない。

科学の研究者が日夜研究を続けているかのように、道の探究者がその極意を求めるかのように、あるいはちょっとした思いつきや悪ふざけで、今も昔も僕もあなたも多くの人が真実を見つけ真実に触れようと日夜取り組んでいるのです。

うん、2021年の時点で割と書いてた。当時の自分偉い。

必然の産物から、あるいは偶然の産物から真実の片鱗を見出し発表し世に問いかけ、肯定されあるいは否定され、自説の正当性が認められたり認められなかったりをしているのです。それはとても自然なことだと思います。
否定されたり認められないとほんっとに凹みますが。

僕は写真家を自称する人たちには写真というアプローチを用いて真実を求める研究者、探究者であって欲しいと思っています。別にそうでなくても構いません。
僕が思っているだけ。

僕は光画って言葉でお茶を濁して欲しくないなとも思っています。
だってあなたが意図して撮った写真を意味もない光の偶然の集合でしかないとは僕は思わないですから。謙遜することも、恥ずかしがることも、斜に構えることもないと思います。
堂々と、何を撮ろうとし、どのように出力したかを披露すればいいと思います。

誰が撮った写真であっても、その写真から真実が見えないということは当然あるでしょう。むしろ真実なんて一片も写ってないことの方が多いかもしれないし、もしかしたら観測できないほど微量なのかもしれません。
真実でないものを真実だと誤認してしまっていることもあるでしょう。
適切な方法を見つけたら観測できるかもしれないし、純度を上げることができるかもしれない。安定的に結果を出せる手法を持っているなら、その人は写真が上手な人ってことなんじゃないかなと思います。

観測するためには適切な性能や機能も必要です。
日夜メーカーがそのような研究を続け、新しい機材を世に出してくれています。
これにより新たな真実が見つけられるようになったでしょう。

手法や機材を作り出すのはメーカーだけではないですよね。
アーティストの方々は独創的な手法を写真に組み込んで真実にアプローチします。
最近で一番面白かったのは枯れた葉っぱに写真を転写する方法。
おもしろいですよね。作品も素敵でした。

写真は日夜さまざまな思いや思惑や葛藤の中で生み出され続けています。
真実の回収率はいったい何%に到達したのでしょうか。
AIによる写真のような作画も凄まじい速度で増えています。
もはやそれが本当に撮られたものなのか、それともAIが出力したのかなんて瞬時には判断できなくなっています。
でも、だからこそ新たに写真に映る真実に迫れる可能性が生まれたと言えるのではないでしょうか。

2023年の僕はそんなことを考えていたりします。
ここまで書いて読み返してみたのですが、思ったよりまとまっていませんでした。
精度も純度も改善が望まれます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?