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FP受験記③「オカネの勉強をしてみて」

勉強して分かったこと。

まず、この国のオカネの仕組みは複雑だがよく出来ているということです。


・キャッシュをしっかり集め、高齢化に備えており、今は節約して備えをしたものはそれなりの待遇が得られるということ。

・税金は所得弱者からの徴収をおさえ、中間層以上の世帯から取って税収を賄っていること。

・住宅ローン減税やや贈与など、大きなお金が動くものは、それを後押しするような制度をつくり、キャッシュを眠らせず、流動化させるようにすること。


これらは月並みですが、こんなことも感じました。


オカネを稼ぎ、持っている限り、やはり国が作った仕組みと向かい合わなければならない…。


そういう意味では遅かれ、早かれ、個別知らなければならないことを、FPという勉強を通して大枠知ることが出来たのは、有意義だったと感じています。


ではオカネとは何者なのか? どう付き合うのが良いのか?

というところに関しては、詰まるところ正解はなく、個人の価値観が大事だとあらためて認識しました。


例えば、自分の所得に対して節税をして個人のキャッシュを維持するという考えもあれば、税金をたくさん払って世の中に貢献したいという考えもあると思います。


教育資金に関しても、親から贈与を受けて子供の教育にあてたいという人もいれば、自分自身が稼ぎだしたオカネで子供を育て上げることにコミットする人もいるでしょう。


次世代のために資産を残したい、負の遺産をなくしたい、逆に資産ではない形で意思を残すために敢えて資産を残さない人もいるかと思います。


「オカネは人を変えてしまう」という側面もあります。

オカネをたくさん稼いだけど、生活レベルが高くなったら付き合う人が増える以上に離れてしまった人が多かった…という人も私は知っています。


これは友人関係だけでなく、家族、親族関係にも言えることで、オカネの仕組みを学んでおくことはその回避策とも言えるかもしれません。


いずれにしても、オカネに対して自分なりの確固たる価値観が持つこと、これが仕組みに振り回されることなく、自分が納得のいく人生をおくる上で大事なことだと思いました。

そしてその価値観が自分自身を動かすのだと思います。

オカネは自分自身の価値観を写し出す鏡だとも言えます。



少し話はとびますが、世界からある日、オカネがなくなったらどうなるでしょうか?

もちろん秩序を失うというのもあります。モノを得るために暴徒化することも想定されます。そういう意味ではオカネは人の理性の維持を役割っているかもしれません。
また、個人としてオカネが突如なくなった、資産が全て消えた、となったとき、自分のなかで何が残るのか、何が大切なのかを考えると、オカネに頼らない生きていく力や価値観というのは必要かなと思いました。

オカネと対峙する中で、オカネに頼らない力や価値観をつけるというのは、難しいとは思いますが、1つの人生のテーマかなと思います。


オカネの勉強をして、オカネのことで悩まない、それは難しいということは痛感しました。

しかし、オカネのことを考えることで自分の価値観を見つけ出せる、これこそがオカネを学ぶ意義だと思いました。

そういう意味でFPを学ぶ意義はとても大きかったです。


願わくばオカネという存在が人を幸せにするものであればいいですね!

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