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WEB上のテキストから、エモーションを共創する、という欲望

文章を書くことが好きだ。

自分から手を挙げて習い始めた水泳も一週間でやめてしまうような飽き性な自分が、唯一小学生の頃から手元に置いてきた習慣でもある。書く習慣が手元から離れようとするたびに、いつの間にか繰り返し渇望し続けて25年が経った。

私にとって、「書くこと」は「走ること」に似ている。
文章を書くと、身体の血の巡りがよくなったような感覚をおぼえる。身体の中に溜まったもやもやを、「書く」という行為がするりと吹き飛ばしてくれる。まるで、1時間ほど青空の下を走った後のように。

一方で、「公にするものを書く」という行為は、「走る」といったような個人競技ではなくて、だから大変だけど、日記などの私的な文章を書くよりもずっと面白いなあとも思っている。

公になるものを書くときは常に、届く誰かの顔を浮かべている。読んでくれる誰かが使っている言葉を混ぜる。伝わるであろう世界に、いじわるしてみたりする。常に、問いであり、実験であり、懇願なのだ。

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WEBメディアという媒体において、ほとんどの場合、読み手は無料で文章に触れることができる。書き手からすると、自由にいろんな人に見てもらえるのでありがたい。そして、誰かのシェアや、あるいはいいね!によって拡散していくのもWEBメディアの特徴だ。

私はWEBメディアで書くのが好きだ。なぜなら私の文章は、個人競技ではない「対話」だから。すぐにレスポンスがある、「WEB上で文章を公開する」という行為が大好きなのである。

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私のTwitterをよく見ている人が「君は自分の記事を熱心にリツイートするよね」と言った。それはまあ、勿論PVが伸びて欲しいというのもあるのだけど、その他にも理由がある。

私はSNSが大好きだけど、WEB上で文章を書いている人でいうと、「この人が書いたなら」と思ってすべて読んでいるひとはごくわずかだったりする。SNS上で出会って読み始める文章の多くは、タイトルに惹かれたか、あるいは、記事についている引用コメントによって興味をそそられたかのどっちかなのである。そして、これがWEBの文章の面白いところであると私は思うのだ。

誰もが障壁なく文章を読めるからこそ、多くの感想が集まる。感想を読んで誰かが文章を読み始める、そしてそれをまた誰かがシェアして、誰かが感想を読んで、誰かが文章を読み始めて…連鎖は繰り返して、何万という閲覧数になる。

誰かの感想を見て文章を開いた人は、わたしの文章と、誰かの感想を組み合わせて味わっているのではないだろうか。「あの子はこの文章を読んで、そんなことを思ったのか」「この文章を読んで、あんな感想を抱くなんて、やっぱりあいつは気に食わない」とか。

WEB上の私の文章は、いつも完成形ではない。誰かの目に触れて、誰かの感想が添えられて、進化していく。形を変えて、誰かに届く。私が文章に込めた、読み手に与えたいエモーショナルな感情は、読み手と一緒に共創されていくのだ。

なので、私は色んな人の感想をリツイートする。多くの人の目に触れてほしいと願っている。私が最初にたてた問いや、実験がころがっていくのを楽しんでいるのである。

こんなにも恥ずかしげもなく、自分の感性を語り合えるSNSがはびこっている現代はいい時代だと思う。願わくばこれからも、自分の文章と誰かの私的な感想の化学反応を楽しんでいたい。今日世の中に問いかけるこの文章にも、きっと誰かが参加してくれる。そんなすぐそばの未来を面白がりながら、私はこれからも、文章を書くのだ。

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