「もてなしたい誰かと生きる」という贅沢

幸せってなんだろうなあ、と一週間に一度は考える。

物足りなく過ぎていく土曜日の深夜だったり、疲れ果てた金曜日だったり、寝坊した月曜の朝だったり、タイミングはいろいろだ。

8月1週目に私の誕生日があって、何日間に渡って、優しい友人たちがお祝いをしてくれた。

私の(そしてたぶん、私を!でもある)愛するその人達は、みんな「あなたのお誕生日をお祝いできて、嬉しいなあ」と言っていた。私はあんまりわからなかった。嬉しいのは私の方じゃない?普通。

私は「私の周りの人々はなんて心がきれいなひとばかりなのだろうか」と思いながら、何度も何度もその言葉を頭の中で反芻していた。そして気づいたことがある。

それは「好きな人をもてなす」って、とっても幸せなことだ!ということ。

***

私は誰かに甘やかされるのが好きで、だから、当然のように甘やかし上手な人が好きだ。甘やかしとは、センスである。相手への洞察と、これまでの記憶の遡りを経て、得られた情報に対するソリューションが甘やかしなのだから。素敵な甘やかしを受けるたびに、「なんて素晴らしいんだ!甘やかしポイント贈呈!チャリーン!」という感じで、モリモリ加点してしまう。

一方で、好きな人を喜ばせるのもだいすき。好きな人を喜ばせるのって、いたずらを仕掛けるのに似てる気がしない?相手の行動を予測しながら、嬉しいびっくりを仕掛けるのは、日常の中じゃ眩しすぎるほどわくわくする。

思いもよらない花束や、綿密に練った旅程表、朝起きたときのカリカリに焼いたトーストと珈琲、重い荷物を持ってくれる帰り道、わかりやすくロマンチックな夜景、なんでもない日のLINE、歩道側を歩いてくれるコンビニまでの散歩道。

思い返して、相手の自分に対する観察眼に感動して「ありがとう」と言いたくなるような、そんな瞬間が、記念日でもない日に溢れている。未来の予定表を見ながら、「この日はどんな日にしようかな〜」と企みながらほくそ笑む自分がいる。

そういう日々を手に入れたなら、きっとそれを誰もが「幸せ」と名付けざるを得ないのではないだろうか。

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誰かと「幸せになりたい」と思うとき、私達はいつも「相手が何を持っていればいいか」を考えすぎてしまう。「大きな家を買える財力」とか、「友だちに紹介して恥ずかしくない学歴」とか、「隣を歩いて恥ずかしくない身長」とか。

だけどそれってとっても、「誰かにとって、幸せに見えるか」でしかない。本当に私達が探しているのは「もてなされ、もてなしたい誰か」ではなかったか。

相手の目を見て、「あんなことしたい」「あそこに連れて行ったら喜ぶだろうか」「これは今晩話さなきゃ!」というクリエイティビティが刺激されたならきっと、その先に”シアワセ”が埋まっている。好きな人へのホスピタリティが、自分を大きくまるく成長させてくれる日々を、渇望したい。

シアワセが多様化する現代のわたしたちに必要なのは、どこかに誰かと眠っている、”必殺技のように「おもてなし」を繰り出し合う日常”を探りあてる嗅覚なのかもしれない。

[あとがき]
一連の内容を考えるきっかけになったのは、林さんの「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。」を読んだことからでした。なぜなら、この本にはスペック!とか、学歴!とかそういうものを度外視したピュアな恋愛が詰まっているから。そして、それが2018年に発売されてしまったからです。とっても素敵な本なので、みなさんぜひ読んでみてください!対談もしたよ。

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りょかち

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コメント1件

そうですよね!もてなされるより?もてなす方が喜びが有る事は判ります!ゲスな事象ですが予算が潤沢に有った時に経験したデリヘル遊びで女の子を呼ぶと手料理でもてなす事に性的サービスを受けるより楽しかった思い出が有る!其れに付いて書いた私小説はマガジン『エロテック小説』の中に書きました!https://note.mu/michizane/m/mca4b4a867101
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