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老いていく故郷を、愛をもって看取りたい。

昨夜、『鳥取のリノベーションまちづくりを振り返る』というイベントに登壇させてもらい話をしてきました。

久しぶりのイベント登壇。しかも自分がカフェを営業していた場所が会場ということで、自分でもガチガチに緊張してように感じます。ちょっと偉そうに喋りすぎた感…。

とは言え、これまで関わっていた方々はもちろん、初めましての人も多く会場に来られていて本当にありがたい限りでした。と同時に、率直な感想をもう少し聞いてみたかったなと、感じていたりもします。

(もし良ければ個別にメッセージなど送ってもらえると嬉しいです)


今日の記事では、今回のイベントを通じて僕の中で最も強く湧き出てきた感情について、書いてみようと思います

街(のシステム)にも寿命はある。

まちづくりの分野に足を踏み込んで早6年。ひとつの単語に込められている複雑な想いを、どうシンプルに紐解くのか、いまだに模索を続けている最中です。

そんな中で、当たり前のようで忘れられがちな大前提に『街(のシステム)にも寿命はある』ということがあると感じています。

こう話すと「街というのは人類が生まれた時から存在する永久に続くシステムだ」という反論も飛んでくるかもしれませんが、やっぱりこの世の中で未来永劫に続くものは何ひとつ無いというのは変わらない真理だと思います。

特に、人口の爆発的な増加の中で成立してきた制度や慣習は、今後の超人口減少社会・IT革命社会においては形を変えざる得ない。

そして、その延長線上には、行政サービスの完全停止のような未来だって十分にある。そう思って動いた方がいいんじゃないかなと。


鳥取市はすでに終活を始めるフェードに突入してる。

よく調べてみると、過疎地域の村などでは、住民が納得感を持って【閉村】を決意し、街の終活を始める事例も出てきています。

で、僕個人の意見としては、きっと鳥取市も終活を考え始めるフェードに突入しているんじゃないかなと

もちろんそれは5年10年のスパンの話ではありません。もう少し長く、でも短くもない、30年後50年後ぐらいなのかなとは思います。ですが、いつかは訪れる未来として考え始めた方がいい段階にはあるはずです。

本来ならば、現状の人口減少シミュレーションや財政の切迫具合など、具体的な数字を元に検証をすべきなんでしょうが、肌感覚としては悪くない期間設定だろうと感じます。

鳥取市は将来的な行政サービス停止を見据えた上で「まちづくり」を考えていく。そんな発想があってもいいんじゃないかなと。


老いていく故郷を、愛をもって看取りたい。

とは言え、個人レベルで「鳥取市の終活を考えること」は出来ても、行政を含めた住民全員で合意形成して進めていけるかと聞かれれば、超が何個ついてもいいレベルに難易度は高いとも理解しています

その方向に意識が揃うためには、よほどの大きなマイナス要因の出来事がなければ動かないだろうなと。(たとえば財政再生団体になってしまうとか)

しかも、今のようにじわじわと徐々に衰退していく形だと足並みが揃いにくいので、誰が見てもインパクトのある劇的な落ち込みが発生しなければ、同じ方向を向いて「終活」の議論をすることすら出来ないでしょう。

だからこそ、僕にできることは『徐々に老いていく故郷を愛をもって看取っていくこと』ぐらいなのかもなと。

定期的に様子を見にきて、「最近は顔色が良いわね」「ちょっと痩せてきたんじゃない?」「あら新しい趣味が出来たのね」と気にかけ続ける。変に延命処置をすることなく、最後まで幸せに人生を全う出来るように温かく見守り続ける。

大事な人の最後を看取るように、僕は愛をもって故郷を看取っていくことに決めました。

それに何の意味があるのか、もっと出来ることがあるんじゃないのか。きっと答えのない問いに悩み続けるとは思いますが、それが僕に出来る最大限の恩返しだなと。


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今日の記事は以上です。
時間の経過とともに徐々に心境の変化も出てくるかもしれませんが、いまの時点での感情を書き残しておきました。参考になる部分があれば幸いです。

では、またあした〜!

▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
>> 僕が鳥取の街に残せるものはなんだろう。
>> その街を選び取った人がいないと、街は消滅していく。
>> 愛がすべてさ。

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