親子対談_自由に生きる息子を持った親心_

28歳になるので父親に本音を聞いてみた。【親子対談】

「自由気ままに生きてるよね」

28歳の誕生日を目前にした今の僕が、よく言われる言葉のひとつです。自分でもそう思うぐらいに、充実した人生をしっかりと歩めてる気がしています。

でも、そんな生き方を選べたのは、間違いなく『親の育て方が良かったから』なんですよね。あの両親の教育スタンスがあったから今がある。


「身近な人との関係性を文章に残す」

勉強とサークルしか頭になかった大学時代、自分のことで必死だった大学院休学時代、自分のお店のことで精一杯だったホンバコ時代。この10年弱の間、僕の心には身近な“人”のことを考えるまで、心の余裕がありませんでした。

でも今は、28歳の扉が迫ってきた今の僕には、自分の意識の幅を広げる余裕があり、そして、文章を書くことを生業にしている今の僕らしく、身近な人との関係性を文章に残してみたい。そんな感情が沸々と湧き出てきています。

そんなことを考えいるとき、真っ先に取材対象として浮かんだ相手が 両親 でした。


「はじめて父親に本音を聞いてみる」

家族にインタビューするって、小っ恥ずかしいものです。取材する側も恥ずかしければ、取材される側も照れ臭いんじゃないかと思います。案の定、母親には「ブログに載せるんでしょ〜、嫌だよw」と取材を断られてしまいました。

しかし、父親は快く承諾してくれまして、今月の上旬のとある夜に、父親と密かな初の親子対談を実施してきました。

というわけで、今回の記事では、「自由に生きる息子を持った親心」をテーマに語り合った、28歳になる息子とその父親の対談の模様をお届けしようと思います。


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俺のスタンスは「やりたいことがあれば支える」だった。

—— なんか緊張するね。こうやって面と向かって真面目な話をする機会ってほとんどなかったじゃん?

父親 まあなぁ(笑)

—— 今日は、「親としてどんな風に考えていたのか」みたいなことを聞いてみたいなって思ってるから、よろしくね(笑)

—— まず聞きたいのが、親父から「ああしろこうしろ」と干渉された記憶がほぼないんだけどさ。あれって意識的に干渉しないようにしてたの?

父親 意識的にっていうか、おとう自体がとやかく言う性格じゃねぇけぇな〜。どっちかと言うと、『やりたいことがあれば支える』っていうスタイルだったかな。だから、別にああだこうだ言わんかったと思うで。

—— 言いたくなる時とかなかったの?

父親 別になかったな〜。強いて挙げれば、反抗期の時ぐらいかな(笑)

—— 反抗期…。あの時はめっちゃ荒れてたもんね…。

父親 荒れてましたね~(笑)

—— いや〜……、めっちゃ反省してます…(笑)

父親 まあそれは誰もが通る道だけぇな。おとうの学生時代にも反抗期はあったわけだし。だけぇ、どうもこうも思わんかった。まあ歳とりゃわかるだろうなって。

—— その寛容さはすごいよね。ちなみに、大学を辞めたいって言ってきたときは、どう思ってた?

父親 昔から自分で考えて行動しよーったけぇな。だけぇ、それに対して特に言うこともなかったかな。まあ、最初は株やらFXやらで食べていくみたいな話をしてたけぇ、その話を聞いたときは意味がわからんかったけど(笑)

—— FXで食べていくんだ!って本意気でイキがってたからな〜…。当時は無知だった…(苦笑)

父親 今頃の子は大学に行きながらそんなんもしょうるって話はちらほら聞いとったけどな。だけど、それで食べていける人は数知れてるだろうし、大丈夫かいなぁ、っていう不安はあったかな。

—— それでも特に強く否定もしてこなかったよね?

父親 博打みたいなもんかも知れんけど、実際それで生活してる人もおるが。失敗せなわからん部分もあるだろうし、やってみたいという好奇心もあるだろうから、それを止めるのもあれだなって。

—— そう思ってても、ブレーキをかけようとする親が大半だと思うけど。

父親 まあそうかもな〜。でも、親としてはお金は出せんけぇ、なんかあったときはちょっとヤバいぞ〜とは思ってたよ(笑)


昔から「人と接すること」は好きな性格だったが。

—— 逆に、ホンバコを始めると言った時は、どんな風に思ってた?

父親 人当たりは良い性格だなとは思っとったけぇ、接客的な部分では知らない人とでも仲良くできるんだろうし、特別心配はしてなかったかな。

—— 鳥取の中ではそれなりに話題になったじゃん? だから周りの人からも色々と言われたと思うんだけど…。

父親 それはどうも思わんかったなぁ。知り合いからも「あれ自分げのだでな?」って結構言われたけど。まあでも、「親がどうしたわけでもないし、やってみたいんだったら反対はせなんだで~」って言ってたかな。

—— そうなんだ。意外とサラッと対応しとったんだね。

父親 ただ、それで大儲けできるとは思ってなかったけぇ、「やっていけるかは微妙だなぁ」とも言っとったけど(笑)

父親 辞めるって言ったときも「まあまあまあ」と思ったし(笑)

—— まあ。儲けられるビジネスじゃなかったけぇな(笑)

父親 でも、聞けばいろんな繋がりができとるし、それは良かったんじゃないかな。まあ昔から友達付き合いとかも良くて、人と接することは好きな性格だったしな。

—— そうだったっけ?

父親 小中の頃から、同級生と仲が良かったが。(妹)や(弟)からは特定の友達の話をよく聞いとったけど、良寛はいろんな友達と仲良かったっていうイメージがある。まあ長男だったけぇ、 親の付き合いも多くてそう感じたのかもしれんけど。

—— 学区外での習い事も色々やってたから、友達の幅が広かったかもしれんね。全部ちょっとずつエリアが違ったから。

父親 確かにそうかもな〜。でも、いろんな場所で仲良くできてたってことは、やっぱりそういう性格なんだと思うで。

—— そうなんか〜。でも、ずっと「すごく仲の良い友達ができない」ってことがコンプレックスでさ。たくさん繋がりは出来るんだけど、すごく仲良くなることがほぼなくて。

父親 広く浅くみたいところはあるかもしれんね。おとうの性格もそうだけな。

—— えっ、そうなんだ!!

父親 おとうもそれなりに仲の良い同級生もおるけど、それなりにだし、 嫌いな人もおらん。だからどこで会っても普通に喋れるし、嫌われてるって話を聞いてもこっちはそんな気ないけぇ普通に喋れる。まあそれが良いのか悪いのかはわからんけどね(笑)

—— 交友関係が広く浅くって言う部分は、遺伝みたいに引き継がれてたんだ…。これまで見た目以外で似てる部分があんまりないと思ってたけど、そんなところに似てるポイントがあったとは…(笑)


ほんとは前の会社に残りたかった。

—— ずっと気になってたんだけどさ、会社辞めて独立したじゃん?

父親 そうだな〜。2013年だけぇ、5年前ぐらいか。

—— 俺も休学してインターン行ったりでバタバタしてたから、その頃の心境をちゃんと聞いたことがなかったなって思ってさ。

父親 心境っていうか、前の会社(株式会社光商会)にも居りたかっただが。ずっと車関係の仕事をしてきて、「車検の速太郎 鳥取店(最後にいた店舗)」もおとうが相手企業と折衝して立ち上げたみたいなところもあったけぇな。

—— あっ、辞めたくはなかったんだ。

父親 そうだで。でも、会社の売り上げが落ちてきた頃に立て直しのために外部の人が入ってきたんだけど、その人と馬が合わんでな〜。とにかく「売り上げ!売り上げ!」っていう都会気質の人で、その人のやり方が鳥取のスタイルと合わんと思ったんよね。お客さんと無駄話をするなとか。

—— あーね。鳥取はやっぱり田舎だから、その無駄話や雑談から仕事に繋がったりもするのに、ってことか。

父親 そうそう。それで面白くなくなってきて。

—— じゃあ、意気込んで「独立しよう!」って感じではなく、会社の方針と合わなくなって辞めた感じだったんだね。辞めることに不安はなかったの?

父親 そりゃあったよ。でも、そんなこと言っとれんかったからさ。病院で「鬱病」って診断されたこともあるぐらいだったから。で、家に帰ったらおかんはあんなだしさ。

—— www それに関しては同情しかない(笑)

父親 だけぇ、何にも相談せずに辞めたんだけど。でもあの頃は、昼間はお客さんとのやり取りをして、それが終わってから売り上げのために整備の作業をして…。そしたら夜は遅くなるし、毎日その繰り返し…。本当に大変だったよ。

—— あの時は「会社辞めた」っていう事後報告でビックリしたけど、そんな大変な状態だったんだね。独立してからは順調?そうでもない?

父親 いやー……、この業界がな、なんせ競合が多いだけぇ。

—— 今やってるのは、基本的に車検と車の修理の請け負いだっけ?

父親 そうだね。独立してやってる人もようけおるし、大きいところは大きいところでやっぱり大口を引っ張っていくし…。中古車販売を扱うところも増えてきてるけど、今はそれもネットで情報が出回って値段を比較されるからね。

—— やっぱ大変そうだね。まあお互いに無理せず頑張りましょう、ってところだね。今日は対談の時間作ってくれてありがとう。今回初めて知った話も多かったから楽しかったよ。

父親 こんなんで良かっただか?(笑) まあまあ、また帰ってきた時は連絡せーな。

—— 了解〜。

(完)

取材日:2018年11月7日
取材場所:O's FACTORY
インタビュー / 文章 / 写真:りょうかん


また来年の誕生日も、その次の誕生日も、節目として家族との対談記事を書いていけたらいいなと思う。


誕生日プレゼントをお待ちしてます!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。この記事が公開された翌日11月23日は、僕の28回目の誕生日となっています。

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おまけ①:母親とのプチ対談

ここからはおまけゾーン。実質的な取材拒否をした母親でしたが、立ち話で簡単な取材はさせてくれたので、そちらの模様もチラッと載せておきます。

—— 取材拒否なんだね(笑)

母親 だって、ブログとかに載せるんでしょ〜? 嫌だよ。職場の人とかも見るしさ。それに、あんたとは割と色々話をしてきたと思うで。

—— まあ確かにね。…、じゃあ一個だけ。大学を辞めようとしたり、ホンバコを始めたり、一般的なレールから外れて生きてることに対して、どう思ってる?

母親 私自身も動き回りたい性格だけぇ、あんたも動き回りたいタイプなんだろうなとは思っとるよ。それに、昔から「やりたいことはやりなさい。やると言ったことは責任を持って続けなさい」って言って育ててきたけぇな。

—— それはよく覚えてる。

母親 だから、その通り生きてくれてるんじゃないかな〜って。でも、家でぐうたらしてる姿も見てるから「?」って部分もあるけど(笑) まあもう自立して生きとるわけだし、好きにしたらいいと思うで。ただ、たまには顔ぐらいは見せぇな。

—— 来月(12月)の上旬もまた鳥取に帰ってくるから、まあまた連絡するわ〜。みんなで回転寿司の北海道でも行こうよ!

母親 あんたの奢りで?(笑)

—— まあその時の流れで(笑)

母親 じゃああんたの誕生日と(妹)の誕生日を兼ねて行こう。…、はい、じゃあ取材は終わり!

—— (笑)


おまけ②:息子から両親へ「夫婦関係はどうですか?」

続いて、一般向けの記事には載せにくい両親の夫婦関係も、チラッと聞いてみました。ここから有料ゾーンになりますが、興味のある人は購入して読んでみてください。

個人的には、両親を見ていて結婚願望を持つ意味がわからなくなっていたんですが、最近少しずつ結婚観も変わってきているので、今だからこそ聞いてみようと思って話をしてみました。

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