短い時間でも、近くに来たらわざわざ会いに行く。その繰り返しが人生を豊かにするんじゃないか説。
昨日まで岩手県紫波町に行っていました。
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その帰り道。同行していた人と別行動で、仙台に立ち寄ってきました。初東北だったので、仙台駅に降り立ったのも人生で初めてです。
滞在時間は、たったの3時間弱。
鳥取で経営していたカフェ(ホンバコ)によく通ってくれてた知人(当時17歳の高校生!!)と久しぶりに会ってきました。今や彼も20歳の社会人。1週間後には大分への転勤が決まっていたみたいで、まさかなナイスタイミングでした。
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本当に食事した店と仙台駅の往復だけ。仙台らしさは一切感じることなく終電で熱海まで帰ったんですが、なんかこの短い時間でも会いに行く行為っていいなと素直に感じました。
これを繰り返していくと、きっと人生に豊かさが増えていくんだろうなと思いました。小さなことだけど、意識するかしないかで大きな差になっていくんじゃないかなって。
元旦に更新した記事で『丁寧に、大切に、1対1のコミュニケーションを積み重ねる。』と今年の目標を書いたんですが、これにも通じる感覚なのかもしれません。
とは言え、日常的に短い時間でもわざわざ会いに行く、を意識していると生活に支障が出そうな気もします。なので、(近くに来たら)の注釈は必要なのでしょう。ですが、この意識は忘れずに持っていたいなと。
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ちょっと気持ち悪いけど、その感覚ってもしかしたら【愛】なのかもしれないなと、書きながら感じてきました。
仮に『見返りを求めずに相手(物事)を大切に想う気持ち』を【愛】と呼ぶのであれば、近くに来たからわざわざ会いに行く行為って、それと近しいんじゃないかなって。
それと、先日誰かと会話をした「人生に時間の総量が決まっているように、自分が与えられる愛の総量も決まっているんだろうね」という話も思い出しました。わざわざ会いに行くことを考えると、まさに愛を注げる対象は有限だと実感をします。
と同時に、「人生の限られた時間を“何に”使うべきかわからない人がいるように、自分の限られた愛を“誰に(何に)”注ぐべきかわからない人もいるんだろうね」という会話もしていて、だからこそ【愛】を注ぎたい対象がいる自体に豊かさを感じるのかもしれないなと。
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紫波町への移動疲れと連日の睡眠不足で、今日は何が言いたいか自分でもイマイチわからない記事になってしまいました。
ですが、きっとあとで読み返したら色々と考えるきっかけがたくさんある記事なんじゃないかとも感じます。
読んでくださった方の中にも、何か気づきがあると記事執筆の甲斐があります。よければコメントやスキをいただけると嬉しいです。
早くも2019年1月が終わります。明日からは2月突入。いい春を迎えましょう。
では、またあした〜!
おまけ:最近読んだGOOD漫画!
先日とある知人と漫画トークで盛り上がったので、今日のおまけコーナーは2019年に読んだ漫画の中からGOOD漫画をいくつか紹介させていただきます。
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