「世間知らず」とは何を知らないのか

私はほんの一時期だけ、名乗ることも烏滸がましいくらいの期間だけ、陸上自衛官だった。父親は現職の自衛官である。父や、それなりに在職期間の長い自衛官によく聞かされた言葉がある。「自衛官は世間知らずだ」という言葉である。曰く、高卒、大卒からのファーストキャリアを選んだ自衛官は、自衛官の働き方しか知らないので定年退職後民間企業で働くことになったときにギャップに苦労するのだそうだ。確かに思い当たる節はぼちぼちある。

そして今私は「仏教学部」という少々特殊な学部で大学生をやっているのだが、どうやらお坊さんもぼちぼち「坊主は世間知らずだ」などと言われることがあるのだそうだ。

まぁそれなりの数のお坊さんや、将来そうなる方々と触れ合う機会があった自分としても、多少は同意する部分がある。所謂「坊主丸儲け」みたいな誤解を世間の方々に与えてしまいそうな人たちは数多くいる。物心ついた時からアルバイトもせず親の金(親が住職をやっている寺の檀家から集めた金)で好き放題遊び惚けているような方々がいて、そんな人たちが大学を卒業してそのまま本山で修行し坊さんになる、というかそういう坊さんが既に一定数いる。という状況を鑑みたら、なるほどそれは認めざるを得ない。

要するに社会人として労働に従事することなく、お寺さん界隈のみでしか生きていない、というような人たちを「世間知らず」と呼んでいるということだ。(そもそも坊さんが世間知らずなのは当たり前だ。「出世間」という言葉があるのだから。というツッコミはなしで。)

しかし、「世間知らず」の指す「世間」とは何だろうか?彼らは何を知らないのだろうか?

例えばサラリーマン歴30年の中年男性を寺で修行させてみたとしよう。きっと何も分からない。法衣の着方や食事の作法すら分からないだろう。日常生活すらままならない、探り探りの状況となるだろう。周りのお坊さんから見たら「コイツこんなことも知らんのか?」となるわけである。反対に先ほど述べたようなタイプのお坊さんを日本の一般企業に放り込んでも同じようなことが起こるだろう。お坊さんに営業の電話は多分かけられないし、商談なんてできそうもない。

つまりどういうことか?坊さんの「世間」とサラリーマンの「世間」は違うわけである。なんなら日本人の世間とアメリカ人の世間は違うし、20歳の世間と70歳の世間は違うのである。世間というか常識。お坊さんも自衛官もサラリーマンも、世間は知っているのである。ただし、彼らが生きている界隈に限られた世間のみ。世間知らずではない。知っている世間が違うのである。世間というものを「世の中や社会、世界全般」を指すというならば、そんなものを理解している人間などどこにもいない。

自分の理解の及ぶ交際の範囲を「世間」などと呼んでいるにすぎない。そしてその交際の範囲内で、とりあえず共有できているっぽい常識を知らない人間に対して一方的に「世間知らず」とレッテルを張っているにすぎない。割と滑稽ではないだろうか。

「世間知らずだ」と言われたら、世間とは何かを問うてみるか、「はい、私はあなたの仰る「世間」が何なのかは存じ上げません」くらいに思っておくのが良いのではないだろうか。実際に口に出してはいけない。「世間知らずだ」などと上から目線で宣ってくる人間に、そんなことを口に出して反論したらどうなるか、それを予想できないなら、それこそ「世間知らず」というものである。


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