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三月三十一日

コンビニのコーヒー片手に花見散歩。たしかにコンビニコーヒーは味気ない。が、味はよい。そして僕はまだコーヒーの味を感じることができている。

三鷹駅を南口から出ると、東に玉川上水が伸びていくのが見える。それに沿って桜の木が並ぶ。いまちょうど満開を迎えている。宵闇の迫る頃、コーヒー片手にそこを歩いていると、会社や学校帰りなのだろうか、たくさんの人たちとすれ違う。ベージュのトレンチコートを着た初老のおじさんに後ろから抜かれる。男子高校生たちのグループが駅へ向かって歩いていく。だいたいの人がマスクをしているが、申し訳程度なのか、顎にずらしていたり、鼻を出していたりする。マスクは外へ出るための免罪符にすぎないのだろうか、とふと思う。地域のコミュニティセンターには、マスクをしていない人は入館しないでください、と張り紙がされている。

そこで、すれ違う人たちを完全に対象化して眺めていることに気づく。パソコンの画面越しに町の様子を眺めるみたいに。在宅で仕事をしている僕には、彼らがどういう気持ちで毎日を過ごしているのかがわからない。どういう気持ちで乗車率の高い電車に乗り、人混みのなかに入っていくのか。もちろん、人それぞれだろう。だが、そのそれぞれの人も、意識しないと単なる対象物となってしまう。

駅前の商業ビルの一階で、三、四歳くらいの男の子が床に頭をつけ、掛け声のようなものを上げながら前に進んでいた。例によって、僕はそれをぼんやりと眺める。不思議な生き物を見るみたいに。それから視線を外すと、お母さんらしき女性が後ろからゆっくりと歩いてくるのが見える。そこで僕は、ああこの子はふざけているだけなんだ、と思う。でも、ふざけていない可能性だってあったかもしれない。それを意識していなかったことに気づき、僕は少しおそろしくなる。

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