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「四月某日」

 四月某日。
 ソメイヨシノがあらかた散って葉っぱばかりになった頃、大型スーパーの駐車場の片隅で八重桜は満開になった。多幸感をたたえたピンク色の花弁に人が集まる。スーパーに買い物に来た家族連れだろうか、母親が小さな男の子の兄弟を八重桜の前に立たせ、スマートフォンをかざしている。白髪を短くまとめた母親とその娘らしき初老の女性の二人組は、どの位置で撮れば桜が綺麗に写るかを吟味している。日が少し傾きだしていた。スーパーは入場制限をかけ、店の外にはマスクを着けた人たちの行列ができはじめていた。
 店の前には大きな幹線道路が走っている。僕は買い物袋をひとつさげて(重いものはリュックに)、横断歩道の手前まで行き、立ちどまる。すると、路線バスがものすごいスピードで目の前一〇センチほどのところを走りすぎていった。
 死とはどういうものか、僕たちは誰も死んだことがないから想像するしかないけれど、誰かの死によって、死にはいろんなかたちがあることは知っている。自動車というのはある意味、死を一番わかりやすく可視化しているものなのかもしれない。目の前を車が走り抜けると、あ、死が通り過ぎていった、と思う。一歩はやく踏みだしていたら。どんな可能性にも誘惑の香りがひそんでいる。しかし、その可能性を試したところで、何かがわかるわけでもないのだろう。たしか、ある高名な哲学者がこんなふうに言っていた。人は自分の死すら経験することはできない。自分が死ぬとき、もうそれは自分ではないのだから、と。

四月某日2

 年が明け、一月、二月と進むにつれて、世界中で新型ウイルスの感染が拡大していった。日本もその猛威から逃れることはできず、三月になると唐突に、全国の小学校、中学校、高校に休校を要請すると政府が発表した。僕の通う大学も、それに急き立てられるようにキャンパスから学生を閉め出した。
 季節外れの雪が降って月が変わると、今度は日本に住むすべての人を対象に外出制限がかけられた。二年生になったはずだったけれど、大学は始まりそうになかった。どこにも行かず、誰にも会わない日々が続いていた。一日、自分の部屋のカーテンの柄や机や本棚を眺めて過ごす。次の日も同じカーテンの柄や机や本棚を眺めて過ごす。すると、一日の境目がだんだんあいまいになってくる。昨日と今日、今日と明日を分けるものはいったい何だったのだろうか。二四時間が経過したら次の日に移るということはわかっていたけれど、延々と続く深夜番組のようにリセットされない時間のなかを生きているような気がしていた。
 同じ学科の岸本さんと一度だけ、ラインで連絡を取った。岸本さんとは古典ギリシャ語の授業で一緒だった。この授業には定年退職した聴講生のおじさんと、たまにやってくる博士課程の男の人を除いて、僕と岸本さんしか出ていなかった。
〈オンライン授業の準備はどうしてる? ギリシャ語もオンラインでやるのかな?〉と僕が訊くと、顔の片側に汗を垂らした、かわいい猫のキャラクターのスタンプが送られてきた。苦笑するしかない、ということだろうか。すると、続けてメッセージが送られてきた。
〈たぶん、やるんでしょうね。でも大学が閉まってて図書館にも入れないし、困っちゃうね〉
 図書館に置いてある分厚いギリシャ語の辞書がないと、プラトンを訳すのは難しいのだ。僕も岸本さんも、数万円はするその辞書を買うところまで踏ん切りがついていなかった。そのあと、大学に関する情報交換をいくつかして、ラインのやりとりを終えた。
 誰とも会わないでずっと一人でいると、自分とばかり会話しているような状態になる。すると、自分が同じことばかり考えたり思ったりしているのに気づく。それは、ずっと同じ話を聞かされているようなもので、だんだんとうんざりしてくる。内側でひびく自分の声にも飽き飽きするようになり、やがて寂しさが塊になって押し寄せてくる。ラジオを聴くと、自分の声を紛らわせて、そんな気分をうまく散らすことができた。ラジオには、同じテーブルに着いている人の話を聞いているような、独特の親しみやすさがあるのを僕は知った。それは変化のない日々での、数少ない発見のひとつだった。
 食器を洗いながら、洗濯物を取り込みながら、あるいは何もせずにただぼんやりとラジオを聞いた。夜になり、ベッドに寝転がってラジオを聞くともなく聞いていることがあった。女性アナウンサーと男性のお笑い芸人が投稿メールを読みながら世間話のようなものをしていた。
 ——「お二人は、新型ウイルスってどんなかたちをしてると思いますか?」というメールですけど。ニュースでCGの模型みたいなのが出てましたよね?
 女性がメールを読み上げて、男性に訊いた。
 ——このあいだネットで見ましたよ。ボールに釘みたいなのがいっぱい刺さってるようなデザインでしょ。
 ——デザインって。まあ、そうなんですけど。あんなのが宙に浮いてたり、その辺の手すりに付いてたりするのかと考えるとこわいですよね。
 ——ねえ。あれのおかげで俺らは巣ごもりをしなくちゃいけないわけだ。ヤドカリみたいに家ごと動けたら、まだいいんだけど。
 ——ふふ。そうですね。
 そこで速報のニュースが飛び込んでくる。女性が神妙なアナウンサーの声になってある大物芸能人の訃報を伝えると、番組はCMに入った。自治体の広報が流れる。
 ——不要不急の外出は控えましょう。やむを得ず外出する際はマスクをするか、人との間に二メートルの距離を取るようにしましょう。
 僕はそれを聞きながら、同じ極同士で反発しあう磁石を思い浮かべた。ついこの間まで引きつけあっていたのに、あるときから極が反転して、お互いを斥けるようになった磁石。それにしても、今年になってこういう訃報を聞くのは何人目だろう。新型ウイルスの感染が原因の人もいれば、そうでない人もいた。自ら命を絶った人もいた。もうずいぶん多くの人が死んだような気がする。

四月某日3

 ときどき朝や夕方、マスクを付け、本を一冊持って近所をゆっくりと散歩した。早朝に散歩したことをソーシャルメディアに発表しただけでバッシングを受けた人もいたという。国によっては犬と一緒じゃないと散歩できないと聞くから、スリリングな行動をしているように感じていた。でも実際、外に出てみると、僕と同じように近所を歩く人はポツポツといた。まるでウイルスなど流行していないかのように手をつなぎ、笑いあいながら歩くカップルや親子がいた。人は気持ち次第で、相手にS極を向けるかN極を向けるかを決めているようだった。気がつくと僕は、道の右端と左端を行き来して、そのどの人とも距離をとりながら歩いていた。
 四月某日。夕方になって外に出ると、向かいのマンションの一階に住む家族が、フェンスに囲まれた軒先の狭い庭いっぱいを使って体を動かしていた。小さな女の子が三輪車をこぎ、そのまわりで父親や兄弟がしきりに何か声をかけている。僕はその光景を尻目に、いつもの散歩コースを進む。コースの途中にある小さな公園で本を読むことが自分のなかで決まりになっていた。その日も公園に入ると、小学四年生くらいの男の子と母親らしき女性がキャッチボールをしていた。木製のベンチに腰を下ろすと、二人をすぐ側から眺める格好になった。キャップをかぶったショートヘアの女性は、アドバイスをしながら少年にボールを投げ返している。ふたりとも真剣な表情をしている。僕はふたりに気を取られながら本を開き、数行を目で追った。そして、すぐに立ち上がり、また歩きだした。
 散歩コースから外れて、少し遠出することにした。マンションの間に作られた遊歩道を抜けて大きな通りに出る。陸橋がかかっており、その向こうには小学校がある。陸橋をのぼると、夕闇の濃くなった空が目の前に広がった。
 広い二車線の道路をとぎれとぎれに車が走っている。陸橋の上にいても、自分の真下を車が通ると身体がゾクゾクして足がすくんだ。ここから飛び降りたらどうなるだろう——そんな小学生でもわかりそうなことが頭をよぎる。僕は今、可能性のこっち側にいて、可能性のあっち側には飛び降りたあとの世界が待っている。たとえ、取り返しのつかないことだとしても、いや、取り返しのつかないことだからこそ、可能性は誘惑の香りを放つ。僕はふと思った。ここから飛び降りたら、アクション映画の主人公みたいに車の上に乗れるだろうか。
 後ろを向いて車が近づいてくるのを確認し、腰を沈める。しかし、車はあっという間に走り去ってしまう。路線バスが近づいてくるのが視界に入る。よし、あのバスをねらおう。もう一度、態勢を整える。
 バスが陸橋にさしかかり、僕は真上に少しだけ飛びあがる。
 そんな遊びにも飽きると、欄干に腕を乗せてマスクを顎にずらした。空気を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。道路の右側にも左側にも背の高いマンションが立ち並び、小学校を取り囲んでいる。校舎にはどこにも明かりがついていないようだ。緑色をしたプールには、マンションの光が写り込んでいる。

四月某日4



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