ここしかなかった

約1年ぶりの投稿。
この1年もちろんたくさん言葉は書いてきたけど
行き先がnoteじゃなかったです。
また溜まってる今までの言葉たちを投稿するかもしれません。
そんな中、今日書いたこれは
noteにあげるしかないと思いました。
今の私なりの答え。

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「今日も楽しかった」
それで十分じゃないか。

でもそんな日も知らずのうちに傷つけた
誰かの上に立った
楽しかった、幸せかもしれない。

聖人にはなれない。
信じたい景色はどこにもないのか
まっすぐでいられる道はないのか
どこかで自分の感じる幸せに
泣きながら妥協しなければならないのか

素直な人。

一歩間違えれば
一歩気がつけば
人の傷の上に立つ人。

きっと自分の「信じたい世界や景色」を
別の角度から見ればいい。
いろんな視点を知ればいい。
いろんな見方を知ればいいだけ。
自分の信じたい世界は
捨てなくていい。

大丈夫だよ。私。もあなたも。

インドの教え。
人に迷惑をかけるなではなく、
人は必ず人に迷惑をかける。
ならば自分も人を許していこう。

信じたい世界は
一面だけじゃない。
一面だけみると
傷つく人を見ないふりすることになる。
気付かないふりをして自分に目隠しをし続けることになる。

別の面を見ようとすると
自分勝手な「信じたい」で
無責任に傷つけた人を、直視することになる。
無責任に傷つけた人を
傷つけないようにしたり反省するのではなく
刻もう。
責任をもって直視して刻もう。

謝罪や謙虚は無責任。
相手を無抵抗にさせる。全面降伏。
謝罪された側、謙虚をつきつけられた人は
許さざるを得ない。
許さないと
許さない自分に苦しむことにもなる。
そうなると謝罪という名で
相手を無抵抗にさせて
また殺してしまう。

きっとずっと誰かに
「おかしい」と
「正当化してる」と
「影をみなさい」と
言って欲しかったし
自分の中の誰かが言っていた。
自分で決定的に認めざるを得ないきっかけが
欲しかったんだと思う。

私が信じたい世界や景色を
本当の意味で直視して
今より少しだけ別の面を知れた時
そしてこの答えが出る頃に
きっと私はまた逢いに行く。

作りたい景色は作ればいい。
大切なのは
360°分きちんと丁寧に傷つきながら創ること。
360°創るには知るところから。

知ろうと思わせてくれて、絞り出してくれて、
本当にありがとう。
変だけどすごく嬉しい。

2020.06.07.

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