2019.06.02.

“自分に出来ることは何かな
今はできなくてもいいから、そこを今後どうやって伸ばしていくのか”

挑戦
という言葉は時に人の背中を押すけど、
私にとっては まだまだ
やるべきこと.みたいな重荷に感じる。

と同時に 無意識的に
挑戦した後には何か成功しておかないと.
成功と思えるものがないと.
成功ではなくても成長を感じられていないと。
と どんどんハードルを上げている。

今はできなくてもいい
って自分から出てきたら最強だよな
最強に自分を許す言葉だよな。
挑戦 なんて
そんな勢いつけなくても、短髪的じゃなくてもいいじゃんね。

もっと楽観的に。

今まで「正解」を無意識的に求めてきていたし、
相手が求めているものを汲み取って行動していることも多かった。
それはつまり 気付かぬうちに自分の中に色んな
「正解」の形や「完成」の形を作っていた。

(相手の気持ちを汲み取るなんて、
相手の言葉で想いを聴いてないなら出来ないのに。
なんて傲慢自己満足。)

それらの形に当てはめてきた私は
大抵の正解に当てはまってきて
叱られた経験がなく
それにより反省の経験も少ない.
落ちて堕ちて墜ちた後、どうやって上がってこればいいのか
わからない。

わからないけど、このままおちてると
腐っていくことだけはわかるから、
自分を正当化したりしながら
凹んだことを忘れようとしたり、
自分の人間性やクセに目を向けるっていう
違う方向へシフトしてしまう。
反省じゃなくなるのだ。

(これが無意識の自己否定になるのかも。
おちたキッカケで始まった自己評価だから
マイナススタートで否定に流れていってしまう)

視野が広いようで少し違う。
色んな世界を自分の膜を通して見て、
得意の人間観察をして、
本や歌など芸術の世界から言葉をかき集めて
1人で 膜の中から見た音の聞こえない広い世界を
小説のように書きとめるだけ。
自分だけの辞書を作ってるみたいだ。

自己完結しているから、凹みも忘れてしまうから、
今後そこをどうやって伸ばしていこうっていう
人との関わりに繋げるまで至らないんだ。

膜を解いて外へ出てみたい。

言葉で表現することで、
丘の上にあった私の膜の中の世界は少し降りてきたし、
ふわふわと世界の頭上を動けるようにはなった。

けれど 膜は健在でした。

ぬんっと出たい。
手を引かれてではなく自分から。

2019.06.02.

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