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記憶を透明化するもの 羽生結弦の「if…」


 ファンタジーオンアイス2023幕張公演2日目を現地で拝見した。
 羽生ファンの皆様から、よく「現地観戦すると記憶が飛ぶ、羽生選手の演技を思いだせない」とお聞きしていたが、その意味がよくわかった。手の届きそうな距離で見ていたはずのものがハレーションを起こしたように不鮮明なのだ。
 たぶんこれは衣装のせい。あのフィナーレの蜻蛉の羽根のような薄物で仕立てられた、そうでなくても発光している羽生選手の肌を許容範囲を超えて透過させるとんでもない衣装の罪である。オープニングでは発表前の新車にかぶせるカモフラージュみたいな意味不明柄の衣装で油断させておいて、不意討ちとはひど過ぎる。
 フィナーレ衣装の胸から上はメタリックカラーで透けない仕様だが、真ん中が深く切れ込んでいて「見える」と「見えない」の境目があざとくもキワドイ位置に設定されている。しかも透けない部分は全体にシアーなボディの肩に短い上着みたいに被っているだけ。動くたびに秘めたるものを暗示するかのようにキラキラひらひら揺れ動く。
 フィナーレ最後の周回で、その衣装を誰よりも形よく着こなした羽生が天井席辺りを見上げ、両腕を高々と打ち振りながら目の前を通過していった。その瞬間にふわりと風をはらんで浮き上がった上着の胸元…!
 私の席は今までで最高のリンクから2列目だ。1.5の視力を誇った私の目、および記憶をコントロールしているはずの海馬は一瞬にして衣装制作者の奸計に嵌り、頭のハードディスクがあっさりとクラッシュして何を見たのか、見なかったのか、わからなくなってしまったのである。


 というわけで5月27日のデータは初期化され、羽生結弦とDA PUMPのISSA、KIMIとのコラボナンバー「if…」の記憶もはなはだ頼りないことになってしまった。翌日の幕張最終日の生放送で補完した記憶をたどってこれを書いている。

 最期の演者として南寄りのゲートから登場してきた羽生は暗転の中で弧を描くように滑りながら力強くルーティンをこなす。暗闇の中で衣装の白い背中と袖が激しく回転し、舞台側からショートサイドへ向けてトゥ・アラビアンで進んて行くのがわかった。
「こんなルーティン前にあったかしら」
と思う間に始まるキャメルスピン。
一瞬の間をおいて前奏が鳴り、スポットライトが降りそそぐ。
 弦の響きに完璧に同期する回転。
 少し不安で、少し甘く、緊張感のある旋律。
 三角形の2辺をたどるような鋭角的なステップで中央に立つ羽生。黒と白の片身替わりに仕立てられたジャケットが暗めの照明に映える。右腕を伸ばし、腰から上体を反らすように回す、ゾクリとするような暗示的な動き。
 前奏の最後の盛り上がりにシンクロし、鋭く飛び立つように羽生が動き出す。ピタリと同期した光背のような照明がドラマチックだ。
 羽生はエモーショナルなISSAの声に乗り、体重移動とエッジワークだけで風を受けるように前進し、翼をたたむように後退する。
 ジャケットからのぞく白いタンクの裾が回転するたびにひるがえり、その嫋々とした様は恋の未練を象徴するかのよう。
 衣装の色はDA PUMPのMVに合わせたのかもしれないが、片身替わりの背中が貴婦人のドレスのようにリボンで編み上げられていて羽生らしい。首元の網目から透ける素肌が煽情的で、インナーを黒シャツでなく白のロングタンクに変えたのも秀逸だ。「レゾン」の揺れて広がる裾といい、「春よ、来い」の舞い遊ぶような袖、「あの夏へ」の飛天風の裳裾といい、羽生は衣装に語らせるのが本当にうまい。まるでフリルや裾のなびき方までコントロールしているように見えてくる。
 
 「if…」はとても素敵な曲だが、並のスケーターなら滑ることを尻込みするのではないだろうか。抒情的なヴォーカルと突き刺さるようなラップがデュエットし、バランスよく形にするのが難しそうに思える。羽生はあえてこの難曲を選び、ヴォーカル、ラップ、パーカッションをすべてを立体化し、シンコペーションも動きに変換して目を見張るように複雑な振り付けを踊り切った。

 大まかにはヴォーカルは美しいスケーティングに、ラップとパーカッションはくっきりとしたステップに乗せ、すべてが並走するパートも鞭のようにしなやかな動きで形にしていく。羽生の動きは単に曲のアクセントに合っているだけでなく、一音の始まりと終わりの間さえ緩急を感じさせるような繊細な滑りで構築されている。
 コラボ・アーティストに合わせるのでも、合わされるのでもなく、呼吸、鼓動、独特の序破急を持った羽生結弦の波動が歌詞を、リズムを、音色を捉え尽くし、分かちがたく憑依していく。
 「波長が合う」という言い方があるが、羽生は曲の魂からの波長も、客席から放出される感興の波長をも捉え、自身のパフォーマンスが引き起こす化学変化によって融合させ、爆発させる。観客はそれまで知らなかったアーティストやジャンルを「発見」してとりこになるかもしれないし、アーティストもまた既に完成されていた名曲が別の視点から光り輝く瞬間を目撃するかもしれない。
 羽生自身が心のままに表現を生み出すアーティストであり、同じ演目でも演ずるたびに変わっていくから目が離せない。その羽生を煽り、煽られる客席もまたオーディエンスであると同時に参加者となり、それらの共鳴が途方もなく刺激的でエネルギッシュな共振現象を引き起こす。
 羽生がその突出した才能とカリスマで創り出す世界はある種のインスタレーション・アートと言ってもいいのかもしれない。映像・遠隔でも十分に楽しめるが、その場に立ち会って創造の渦にダイブする感覚はちょっと言葉にできない。雨が降ろうが槍が降ろうが連日通い詰めるファンがいるのも頷ける。

 今回もう一つ、強く印象に残ったのが羽生の指先だ。特にイントロのキャメルスピンからヴォーカルの始まり、シンク、スウィング、リンク、ウィンクと韻を踏んだ部分、「解けるのかな、魔法は…」とか「君のもとへ思い届けに…」からラストのあたりなど、手先、指先の動きの柔らかく美しいことが際立っていた。ダンスも滑りもたいそうキレが良くて時には激しいけれど、その手先はまるで愛しい人の感触を思い出しているかのように悩ましい。

 ステップの一部のように跳ぶ3ループとか、のけ反りながらバックする逆アラベスクとか、9時15分みたいに綺麗に脚が伸びたゲットダウンとか、追いきれないほどユニークな技が連なる羽生結弦の「if…」であるが、運命の糸を、思い出の よすがを、手繰り寄せるかのように中空を嬲る透き通った指先には目を奪うものがあった。

 見たことのないものを初めて見た時に、しっかりと認識できる人は少ない。
「ヤバい、凄い!」
 と本能が叫んでも、分析したり関連付けたりする手掛かりがないと記録ができず、衝撃だけが残るのかもしれない。その上に今回は妖しく透き通る衣装の攻撃を正面から食らって私の記憶はさらに儚く透明化してしまった。
パソコンみたいに消えたデータをサルベージしてくれるサービスがないものだろうか。


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