うちには子どもがいない。

「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言の校長

こういう話題を聞くたびに、大きなため息が出る。今回に関してはため息と一緒に悲しい気分にもなった。
こんなことをきっぱりと言える人はよっぽど幸せな家庭で育ち、幸せだと思える家庭を作り、自分の子どもたちから慕われ尊敬されているのだろうなあ、と思う。

私自身は子どもはいないし、産む予定もないし、あまり前向きではない。子どもは大好きで、欲しい気もするけど、全力で絶対に欲しいんだ! とはどうがんばってもなれないのだ。
旦那について言えば私以上に後ろ向きで
「いたほうがいい気がするけど、うーん……」
と言った調子だ。

なぜそんなふうになるのか。
我が家の場合は
「キャリアが…」
とか
「2人でいつまでもラブラブ過ごしたい♡」
というわけではなく、単純に夫婦ともに家族に対してポジティブなイメージがないからだと思う。
「子どもがいたほうがきっと楽しいよね」
という思いよりも
「1人の人間を自分たちの手で不幸にしてしまったらどうしよう」
という気持ちのほうが強い。
何より、家族に対する嫌悪感が大きい。自分の家族についてはなんと不幸な集団だったんだろう、と思う。
だから、産まない方がいい理由を常に探してしまう。

すでにママになった友人たちは口を揃えて
「産んで後悔したことはない。産んでよかったと思える」
と言う。
一方で、
「『絶対に産んだほうがいい』『子どもっていいよ!』とは言えない」
ということも全員が言う。
どちらも、私にとってはとても優しい言葉だ。

夫婦の意見が一致しているなら、何も悩む必要はないはずだ。なのに、日を重ねるにつれて、少しずつ追いつめられているような気分にもなる。
友人たちの赤ちゃんを抱っこさせてもらうと、とてもかわいらしくって、柔らかい体に自然と笑顔になるのと同時に
「自分はこんなふうに愛おしいと思える子と一緒に暮らすことはないのだろうか」
と悲しいような切ないような、複雑な気持ちに駆られる。


私はとても健康だ。生まれてこの方、大きな病気もケガもしたことはない。そんな健康体だというのに、何を贅沢なことを、と怒られるかもしれない。
でも、家族に対してポジティブになれない私にとって、産みたい、と思うことさえ罪に感じられる。
人が育っていく環境というのは本当に重要だ。
いつかこの気持ちのシーソーがどちらかへはっきりと傾く日は来るのだろうか。
時間が解決してくれるのなら、こんなに気が楽なことはない。

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