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Twitterって性格出るから気をつけたい、という今さらな話。

Twitterでイイ感じの人が実際に会ってみたらそうでもなかった、ってことはあるけど、Twitterでヤな感じの人が実際に会ってみたら感じのいい人だった、ってことが今までに一度もない。

もういろんな人が言ってるけど、Twitterってものすごくその人の性格が現れるなあ、と実感している。facebookはまだ見られている意識が強いからマシなんですかね。
おかげで「この人とは合わなそうだ……」と感じている人と実際に会うことを回避できるのは良い。逆に元々の知り合いで「なんかこの人あんまり合わないな……」と思っていたらTwitter見て納得したりする。
私もそうだけど、ほどほど気張らずに投稿できるから、というのもあるんだろうなあ。

大学のときの卒論で、ちょこっとだけ言語分析に関するテーマを取り扱った。近代文学作家の作品を分析して、作者の個性や作品傾向を考察する、的な(そういうプログラム?があるのだ)。

で、その分析結果を照らし合わせると、人に心地よい文章というのはどういうものかが分かるというわけだ。

例えば、400文字はまとまりがよく、誰にでもうまく書ける文字数であるとか(原稿用紙の文字数がまさに)、センテンスが長すぎると意味が伝わりづらいとか、短すぎると気持ちが現れにくくなるとかいう話を論文にした。ま比較的、当たり前とされている話だけど、分析すると数字としてちゃんと出るんだよ~、という話。

確か相手に伝わりやすい1センテンスは40文字とかだった気がする。
ツイートを見ていると、40文字以下だと冷たいというかそっけない感じがして、とっつきにくさがある。言いっ放しな感じがして、突き放されてる感があるのかも。
たまに140文字1センテンスというツイートもあるけど、それだと全然頭に内容が入ってこないし、読解するのに時間がかかる。たぶん、40~45文字のセンテンスが3つという構成だと読みやすいのかな。

あまり同じキーワードを多用するとアホそうに見えるし、何事に対しても自己の欲求が現れてばかりのもの(「~すればいいのに」とか「~してほしい」が語尾につくことが多い)、ネガティブなもの(内容はそうでもないのに、「~してしまった」が多いとネガティブに見える)、あとは上から目線、誰に対してというわけでもないけどうっすらと自分の周辺に対してマウンティングしている人もしんどいな。
「自分はがんばっててこんなことを成し遂げたんですよ」といった内容のことをすごくボカしてツイートするせいでモヤッとするものも多い。もういっそ「あたしすごい! 褒めて!」とストレートに言ったほうが気持ちいいのに(主観)。匂わせとか、Twitter上の察してちゃんはもう超めんどくさい(苛々)。あ、恋愛に関する匂わせはfacebookのほうがあからさまかな。

個人的に、SNSって人の自己顕示欲のポロリを眺めるような場所でもあるのかな、と最近思っていて興味深い(もちろん、そういうのが一切ない人もいる)。
でもまあ、褒められたいし、かまってもらいたいし、っていうときには誰にでもあるもので、Twitterはとても手頃なんだろうなあ、と思う。私だってそうだ。しゅん、としているときは誰かに慰めてほしくてそんな内容のことを匂わせたりしている。誰でもネットで発信できる時代なんだから別に好きにしたらいい。「自分をさらけ出すな!」「もっと気取れ!」とわざわざ言うのは野暮なわけで。

ただ、自分の住所や写真を晒す以上に恥ずかしくて危険なものを見せて信用を失う場合もあるから気をつけたいな、っていうのは思ったりもするのだった。

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