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女心なんてどんな形でも面倒なもので。

どちらかと言うと八方美人なほうだった。

人に嫌われるのが怖かったし、いわゆるハブられるのも悲しかったし、一緒にいるときに相手に嫌な顔をさせたくないな、という気持ちが強かった。でも、きっと学校の教室ではその気持ちを持つのは必要なことだった。

学校というものから卒業してもう何年経っただろう。
相手に合わせるとか、嫌われないように立ち回る、というのがここのところどうでも良くなってきている。というより、しんどい。
心をすり減らしてまで今目の前にいる相手に好かれたいか? と自問してみると、そうでもない。女子会など、その場にいる全員がそれなりにいい気分で終わることができたらそれでいい。
今日会ったら次にいつ会うのか分からないような相手にヘラヘラしてんのもアホらしいな、といつからか思うようになった。

そうしたら、相手の言っていることに全て賛同できるかって言ったら、そうでもないな、と気付いた。

あー、今までの私って本当に人の話を上っ面でしか聞いてたことが多かったんだな、と反省した。

「〇〇であることって最高!」
「だよねー、分かる、分かる」
(それってあなたにとっては最高、ってこと、だよね?)

「誰それさんはどこの会社に勤めていて安定しているから、すごくいいと思う!」
「確かに~!」
(そんなふうに考える女子って本当に存在するんだな…)

「もう30半ばだよ…女として賞味期限はとっくに切れちゃってるしねぇ」
「そうだねぇ…」
(なんでまるっと女の賞味期限を自分で決めちゃったんだろう…?)

うんうん、そうだよねー、分かる分かるって頷いていたらうまくいく付き合いなんてつまらないし、時間の無駄だ。
だからと言って、「私はあなたの考え方は違うと思うわ!」と宣言できるかと言ったらそうでもない。自分の意見を述べたところで何か生まれるのだったらいいけど、たとえ反論してみたところで返ってくるのは「ああ、あなたはちょっと私たちと違うから」。やんわりとラインを引かれて話は進んで行く。

あなたはそう言いますけど、その「私たち」ってどういう「私たち」なの? なぁんて。あなたと私と何がどう違うの?

自分の考えを言って、それに対して更にきちんと考えた言葉をもらえるって実はとても貴重なものなんだな、と希薄な人間関係の中で考える。
私は私が好きな人に好きでいてもらえたらそれでいい。
そう思って、自分が思うがままに話すようになったら、少しだけ生きやすくなった。……気がしないでもない。

なんてドヤ顔で言ってみるものの、本当は誰にも嫌われたくない、という気持ちがまだ残っているのはなんとも弱虫なことで。
やっぱり私はどこかのあの子の顔色を伺っているのだ。

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