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若者にかっこいい大人像を見せれていないミドルエイジよ、ビッとしようぜ

サンパチのミドルエイジになった今

無条件に反射的に心や体が反応してしまうということが誰にでもあると思います。

僕の場合は、親子関係や子供、動物の愛情や関係、命にまつわる話は常に琴線に触れてしまいます。文字通り無条件に反射的にです。朝だろうが夜だろうが、疲れている時だろうが元気な時だろうが関係なく、感情が0から100越えまでパラメーターを振りちぎって瞬時に沸騰状態になって心が奮えて涙が溢れてきたりしてしまいます。

まぢで前世ってのが存在していて、そこでカルマを背負っているのでは?と思ってしまうくらい、何故か無条件に反射的に心も体も持って行かれてしまうわけです。この正体がこれまでよくわかっていなかったんですが、ミドルエイジになってからはもう「多分カルマでも背負ってて今世で贖罪してんだろうな」と受け入れるようにしてしまいました。理由がよくわからないけど魂が奮えちゃうんだからもう深ぼってもしゃあないよなという具合です。

こんな前提条件があるので、以前記事にした「インタージェネレーション」という言葉がやけに響いた話があったのかなとも思います。

インタージェネレーションて知ってますか?

大義ある偽善者であれ

今僕が手掛けているメタバース「GOGH LAND」もアートプラットフォーム「meTAGraffiti」もそうです。次の世代がこのクソみたいな世界に埋もれてしまわないように、やりたいことを貫き通して戦える力に変えてほしいという思いが間違いなくあります。過去の自分に重ねる部分も少なからずあるし、でもそれよりももっと大きな直感的で反射的な潜在意識から芽吹いたもののような気もします。

誰でもスマホ一つで圧巻のショーが作れてリアルマネーを稼いでいけるGOGH LAND
様々なアーティストのコラボレーションとアーティストエコノミーを促進するmeTAGraffiti

僕は聖人君子じゃないし、(プロジェクトの手掛け方からもお察しの通り)ADHDだし、クズ野郎ですが、シンプルに且つ合理的に考えても「自分以外の幸せが自分の幸せを創る」ことを理解しているので、それならば社会の役に立った方がいいに決まってるし、目的達成(利益追求)と社会にイノベーションをもたらす機能自体が手段になったのが資本主義なので、社会的が「善」と呼ぶそれに正々堂々と偽善者として向き合い挑んでいます。

僕にとっては善も悪もどうせ時代によって変わるし、状況が変われば平気で手のひら返すヤツばかりなのを知っているし痛いほど経験してきているので、他人が僕の価値観にどんな名前をつけようがどうでもいいんです。ただ、僕が手掛けているプロジェクトの可能性や面白さが伝わらないのはノーサンキューだし望むところではないので、甘んじて世間の目というものは受け止めます。

勘違いだろうと、馬鹿にされようと。

でも本当に不思議だなと思うんです。

僕の両親は僕の幼少期から不仲だったし(結果熟年離婚してます)、僕の叔父さんは第1級の知的障害者だし、僕の実家は保護猫屋敷(その数実に22匹!)だったし、無条件に反射的に自分の子供以外でも関係なく頑張っているところや悲しんでいるところを見ると琴線に触れるし(なぜかうちの嫁もそう)、心躍るアイディアはいつもインタージェネレーション的だし、どう考えてももうそういう役回りを与えられてるのかしらと誤解してしまいたくなるような人生なんです。

だから世界が僕をどう見ようとも、僕は僕の直感を信じてそれを役回りと勘違いして進んでいこうと決めています。それを世界がどう呼んでもね。

若者の失望の先の無関心

そういえば、先日渋谷道玄坂にある知人のスナックで20代前半のやんちゃな若者たちに囲まれて話を聞いていて思ったんですが、彼らやっぱり社会や大人に絶望と失望を通り越して無関心レベルに到達しちゃってるんですよね。

だから聴く音楽もつるむ連中も同世代。カッコいい大人が周囲にいないから、同世代の殻に閉じこもってる。それを確信して、僕はカッコいい大人がいない世界ばっか目の当たりにさせちゃってごめんな〜って涙が出てきたんですよ。

そんなこともあって、より自分たちのプロジェクトを通じて希望を見せたいなと思ったし、個人的にも背筋をビッと伸ばしてカッコいい大人になろうと思いました。そして同時に、やっぱり僕らが「インタージェネレーション」をテーマに活動することは間違いないと確信しました。

Establishing my style

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