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人はいつ人になるのか、的なことを考えた日

これは訪日初日の移動中の電車内で書いていた記事。

2020年11月12日朝、羽田に着いた。今回の訪日はおよそ1週間。

Ryo Konishi DAOが進めるweb3プロジェクトが広報を必要とするフェーズに移ったので、3つの新しいチームを組成した。それらの打ち合わせを中心にアポがある。

当初の予定ではぎっちりと撮影を入れていたのだけど、よりよいコンテンツ制作の為にリスケとなったので大幅にスケジュールが変更になった。

なんの巡り合わせかちょうどそのタイミングで、僕の小学時代の母校で150周年を迎える記念祭があり、それに合わせて同窓会が行われる知らせが偶然にも入った。本当に色々な偶然が重なったお知らせだった。

訪日初日のアポは2件のみ。もしかしたらいけるかいけないか、という状況で、1件アポがキャンセルになった。お陰で僕は今地元の埼玉は熊谷へ向かっている。僕の青春時代を共に駆け抜けた高崎線に乗りながら、変わったようでそのままの流れる景色を眺めている。

僕には3人の師がいる

人はいつ人になるのか、と問われれば僕は真っ先に3名の名を連ねて、人は人によって人になると答える。

小学生時代3年間担任をしてくれた関根先生と、中学時代3年間を担任してくれた三宅先生、そして起業時代に多くを師事した与沢翼元会長だ。

関根先生には僕の音楽の原体験をもらっているし、実はITも映像も関根先生から始まっている。僕の著書「君が迷っている間にも〜」にも記したのだが全て関根先生がきっかけで興味をもったのだ。

小学生時代から曲を作ってストリートで弾き方りをしたり、映像作品を一緒に作ったり、 DOS/Vを借りてテルネットコミュニティを立ち上げたり、父にもらったWindowsではホームページを作ったり、僕を僕たらしめる構成要素を作ったのは関根先生だと思っている。

今やっていることの70%以上は小学生時代にのめり込んだものばかりだ。

僕の歩く道は9歳頃には決まっていたのかもしれない。

小学時代に芽生えた興味を、中学時代に三宅先生が自信に変えてくれた。そして起業時代にそれらが仕事になったんだ。

そんな関根先生は今、僕らを育てたその石原小学校の校長先生をしている。その教員人生最後の仕事が150周年を祝う様々な行事を通じて、新しい世代へ新しい教育を託すことだそうだ。

僕らの世代は特に、精神的つながりが深い。先生と生徒、生徒と生徒の全方位が深く繋がったコミュニティは僕の人生の中でも数えるほどもない。それほど何か大きな人生の転換点があの頃たくさんあったんじゃないかと思う。

喜怒哀楽を深く味わったからこそ、今の僕は僕になったのかなと思う。そしてそんな僕を作ってくれた関根先生と今日どんな話ができるのか楽しみで仕方ない。

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