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きっかけはnoteから

年始にふっと思い立ちnoteにアカウントを作ってから、これがちょうど10記事目になる。10年続けているアメブロとはまた別に、わざわざnoteを立ち上げた理由は、本当に「なんとなく」だった。何を書くかもまったく決めず、真っ白なキャンバスに向き合うような新鮮さだけを求めてnoteを開いた。飛騨高山の義実家に帰省中で、家事や育児から解放され時間に余裕があったことも大きい。雪が降り積もり一面の銀世界になった田舎の風景を見て、その高揚感をつれづれと書き起こしてみたら、不思議とFacebookやアメブロとは違う文体になった。(「雪景に想う、結婚ってやつ。」参照

こういう文章って、なんて言うんだっけ。日記? いや、散文? あ、もしかしてエッセイってやつ? ていうかエッセイの定義ってなんだっけ・・・?と、「エッセイとは」を検索してみたりもした。ちなみにエッセイとはコトバンクによると「自由な形式で、通常はある1つのテーマをめぐって書かれた散文」だそうだ。結構ざっくりなんだな、エッセイの定義って。
自分が書いたものが本当にエッセイなのかどうか確信はなかったものの「noteに文章を書いてみたら、エッセイっぽいものになった」と、その記事をFacebookでシェアしたら、思いのほかたくさんの方が読んでくれた。いつもと違ったテイストで良いですねというコメントもいただいた。それが、ものすごく嬉しかった。

その後幾つか「エッセイっぽいもの」を書いているうちに、自分の中で懐かしい記憶が度々蘇るようになった。中学・高校と、学校の授業をまったく聞かずノートにひたすら小説や詩を書き続けていたこと。それを仲の良い友達に読んでもらって感想を聞くのを楽しみにしていたこと。手書きの原稿を中古のワープロに打ち込み、プリントして本を手作りしたこと。
それ自体を忘れたことはなかったけど「エッセイっぽいもの」を書くうちに、事実としてだけでなく当時の感情をありありと思い出したのだ。これは私にとってとても重大な出来事だった。この10年アメブロで綴ってきた文章は、集客やセルフプロデュースを目的としたものが大半だ。そんな目的を一旦脇に置いて、ただただ純粋に書きたいことを書きたいように書く。その喜びを私は随分長いこと忘れていたのかもしれない。


私は2009年に副業でフリーランスの仕事を始めた。「ブログ用の写真を上手に撮りたい」というニーズがあることを知り、カメラ女子だった私は勧められるがままに写真セミナー講師になった。当時「仕事にしたいと思っていたこと」は別にあったものの芽が出る気配はなく、「できること」と「ニーズがあること」が重なると仕事になるのだということを身を以て知った。以来私は自分の強みを軸にマーケティングを取り入れ、写真撮影・セミナー講師・イベント主催・協会役員・コンサルタント・ライターなど仕事の幅を広げてきた。どれもとても貴重な経験で、私の財産になっていると胸を張って言える。
ところがここ数年、発信やマネタイズの方法が急速に多様化し(このnoteもそのひとつだ)、更に「今後AIの台頭によりホワイトカラーは絶滅危惧種になる」「これから先は思い切り好きなことをやっている人だけが生き残る」「仕事になるまで遊べ」なんて論調を目にするようになった。そして時代が確かにその方向に進んでいるのを肌で感じるたびに、自分はこれからどこに向かうべきなのか?をしばしば考えるようになった。「できること」と「ニーズがあること」を優先してきたのは決して間違いではなかったけれど、今のままでは「好きなことに没頭している人」に猛スピードで追い越されるかもしれない。

私は長い文章を書くのが好きだけど、決して筆が速いわけではない。一旦書きあげてからも幾度となく読み返し、推敲を繰り返さないと気が済まないので「ライターを本職にする」のは割に合わないと思ってきた。
でもそこにこそヒントがあったのかもしれないと気付いたのは、阪神大震災での被災経験をnoteに綴ったときだった。5,000文字弱のこの記事の作成に、私はほぼ一日を費やした。1月17日中にアップしたいという想いがあったにせよ、それを差し引いても余るほど、長時間に渡って執筆に没頭していた。たくさんの人が読んでくれて反応があれば勿論嬉しい。でもそれ以上に、ふつふつと湧いてくる「書きたい」欲が勝っていたように思う。私にとって「寝食を忘れて没頭できること」は、「純粋に好きな文章を書くこと」だったのだ。今思えば、それに気付いたことがティッピングポイントだった。

「好きな文章を書くこと」を中心に、それ以外の自分の興味関心、強み、経験など様々なことを星座のように繋ぎ合わせて「自分が心からしたいことは何なのか」を改めて考えたとき、10年続けてきたアメブロを止め、別の場所で主旨を変えて一からブログ運営を始めようという結論に至った。正直マネタイズは後回し、とにかく「好きなことに没頭できる環境」を整えることを優先させよう。メインコンテンツはこれまでFacebookで発信し多くの反響をいただいてきた、暮らしやライフスタイルに関するトライアンドエラーだ。
写真は撮れる、文章も書ける、これまでのフォロワーも少なからずいる。一朝一夕にはいかなくとも、コツコツ続ければ数年後にはメディアとしてある程度価値を高められるだろうという確信もある。そう思うともう居ても立ってもいられないのが私の性分だ。すぐにブログポータルをリサーチし、はてなブログを選びアカウントを開設した。タイトルには少し頭を悩ませたが、納得のいく落としどころも見つかった。ヘッダーのビジュアルイメージも浮かんだので、小物や素材を手配し、撮影からヘッダーの制作までの全てをひとりで一日でやりきった。
そしてようやく、昨日新ブログSmartNatural.Lifeを公開するに至った。

「エッセイのようなもの」は引き続きnoteで更新していく。これを書いている現時点でnoteのフォロワー数は44。そのほとんどが、おそらく「noteで初めて私を知った人」だ。何者だかよくわからなくても、noteを読んだだけでフォローしてくれる人がこんなにもいるというこは、私にとって希望でしかない。これからは各種SNSから導線を貼りつつ、はてなブログとnoteを中心に発信していく予定。ブログ運営を通じて目指すのは、暮らすことと働くことを一体化させた「work as life(ワークアズライフ)」。写真撮影やセミナー講師などこれまで仕事と並行して、新たにブログ運営という事業の柱を増やすイメージだ。


noteを開設したときは、まさかこんな展開になるとは微塵も思っていなかった。ここまで書いた一連の気づきに一番衝撃を受けているのは紛れもなく私自身。最近親しい友人達と話す機会が立て続いたのだけど、皆拍子抜けするほど「前からそう思ってたよ」と、温かく見守ってくれている。やはり自分のことは見えているようで見えていないものらしい。


「仕事を完全にヌキにした好きなこと」をアウトプットする場を設けること。noteはその手段として、結構おすすめのツールかもしれない。

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