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コロナ禍で「天気の子」を見て、色々と考えさせられた話

緊急事態宣言の解除を受け、都内の映画館がようやく再開した。コロナ前までは大体月に1~2回は映画館に通っていたのだけれど、最後に見たのは3/4に品川で見た「グッドバイ」だったので、3ヶ月は映画館で映画を見ることが出来ていない。これは自分の人生にとってはなかなか無い事態だったのだけれど、さすがにそろそろ映画館でじっくり映画を見たい欲が高まっていて、この週末に見ることにしたのであった。

映画館が「密空間」だと言われ始めたのは3月の終わり頃だっただろうか。新作映画が次々と上映延期となり、同時に緊急事態宣言の対象に映画館も挙げられるようになったことで、多くの大手系映画館は休館を決めていた。そしてそういう状況なので、新作映画のほとんどが上映延期になった。

新作映画の上映も延期になったということもあり、映画館に行きたいという欲は自分の中でそれほど高まらず。自宅でNetflixやAmazonプライムで過去作を色々見ることが出来たこともあって、「映画館潰れないで欲しいなあ」と他人事のようにニュースを見て思うくらいで、それほど気にも留めていなかったのだけれど、徐々に映画館が恋しくなってきていた。やはり自宅のテレビやタブレットの小さい画面で見るのには限界があるのだ。

そんなわけで、映画館が再開することを知って映画を見たくてたまらなくなった。普段は自宅から(頑張れば)歩いて行ける新宿のピカデリーやバルト9、TOHOシネマズ新宿で映画を見るのだけど、ここ最近の都内感染者の多くが歌舞伎町周辺が原因ということを踏まえると、ちょっと怖い。ということで初めて訪れるTOHOシネマズ上野まで、2時間歩いて出掛けることにしたのだった。

再開後の映画館は、前述のとおり新作の上映が延期されていることもあって、各系列共に旧作を安い金額で上映する試みをしていた。要は都内のほとんどの映画館が名画座のようになったということ。最新の設備で旧作を安く楽しめるというのはなかなか嬉しい。TOHOシネマズ系列では、「君の名は。」「AKIRA」といった旧作アニメを中心に上映していたのだけど、その中で昨年見逃していた「天気の子」を見ることにして、ネットでチケットを押さえることにした。チケット予約自体も当日にしか出来なくなっていたので、上映の数時間前の予約にはなってしまったけれど、その時点で席がガラガラだったのにはちょっぴり安心してしまった自分もいた。

さて「天気の子」である。
世界的にも評価された「君の名は。」の次回作ということで、昨年大いに話題となった作品であるが、残念ながらリアルタイムでは見ることが出来なかった。というのも毎回若者を中心に混んでいて、ちょっと敬遠してしまっていたのだ。
とはいえ周りの人から賞賛の声も聴いていたし、ちょうど映像作品として販売が始まるタイミングだったこともあり、そろそろ見たいなと思っていたタイミングで映画館で上映しているのを見つけたわけで、個人的にはとてもラッキーだった。

「天気の子」のあらすじはというと、主人公が神津島から家出して東京に来て、色々ありながら編プロにて住み込みバイトを始めながら、”本物の晴れ女”であるヒロインやその弟と共にすったもんだがある、という話。15年以上新宿区民である自分にとっては、歌舞伎町を中心とした新宿や代々木の街並みが”まんま”作中で再現されているのを見るのは少し嬉しかったけれど、何より映像の綺麗さには度肝を抜かれた。雨が降り、その雨が魚のようなものに変わっていく描写だったり、積乱雲の上に広がる草原などは、正に夢のような光景だった。

(以下はちょっとネタバレ)
そんな中で東京は異常気象に見舞われはじめ、ゲリラ豪雨や真夏に雪が降るなどが起こっていくのだけれど、最終的には主人公とヒロインが元通りの世界に戻ることではなく自分たちの未来を選択したことで、「ずっと雨がやまない気象」は”異常から日常”へと変化していった。

作中のニュースキャスターが呼びかける「不要不急の外出は控え・・・」というセリフには、今だからこそドキっとさせられたし、年中雨が降るという気象が当たり前となり、傘を随時差し続けている人々の姿に、このコロナ禍において必ずマスクを装着するようになった自分たちのリアルな姿が重なる。

エンディングで神津島から三年ぶりに上京してきた主人公は、ほとんどの地域が海に浸かった東京の街並みを船の上から眺めるわけだけれど、たった数年前まで当たり前だった光景はそこにはなく、当時から見れば異常な東京の光景がそこには広がっていた。もちろん作中の人たちにとってはそれが既に”日常”であるのだけれど、その変化を体感していない観客の我々にとっては、違和感を覚えるシーン。おそらく昨年の公開時には単なる「アニメの中のワンシーン」としてしか処理していないこのシーンは、正に今、世界的な大変動を実体験として日々送っているこの瞬間では、全くもって意味合いが違うものになっていた。だって、目の前まで大きな”ニュー・ノーマル(新常態)”が迫っているのだから、圧倒的なリアリティを感じてしまうのだ。

今のこの状態は、数ヶ月前の自分達が見たとしても、天気の子のシーンのように「アニメの中のワンシーン」として処理してしまうと思う。歩行者が全員マスクを装着し、お店のレジはビニールシートが設置され、飛行機も電車もガラガラ。あれだけの人で賑わっていた観光スポットには人気が全くなく、地方都市では「都会から入ってくるな!」と県外ナンバーの車を攻撃したり、江戸時代の関所のように県境には検問をしていたりする・・・。

今こうして文字に起こしてみても、今までの常識では異常な光景だ。観光立国を目指したことで日本中で見かけるようになった大勢の外国人観光客は姿を消し、春の醍醐味だった花見は全て中止。競馬のG1レースは無観客で開催。ライブやスポーツはここ暫く開催されない。うーん、現実のことながら文字に起こせば起こすほど、現実味が失われてしまう気がしてくる。

こうしたニュー・ノーマルにおける”作品の新解釈”は、多く起こるような気がする。分かりやすい例でいけば、2011年公開の映画「コンテイジョン」については、今回のコロナ騒動との関連性が世界的にも話題になっている。これは予告編を見ただけでも、今この瞬間の現実との既視感に眩暈がしてしまいそうになる。

この「コンテイジョン」もそうだし、邦画の「感染列島」もそうであるように、そうした「コロナを予見したような作品」も面白いのだけれど、個人的には「天気の子」のような、直接的には繋がっていないものの、今を体験しているから意味合いが違う作品というものに興味がある。昔ながらの感染症である”ペスト”や”結核”などがテーマにある作品は、ある意味人類がどのようにして感染症を乗り越えてきたかが学べるものであるし、そういう意味ではまだ真偽は不明なものの、結核防止のためのBCG接種が新型コロナウイルスに効いているかもしれない、という仮説は非常に興味深い。

3.11の東日本大震災の時に、昔の大津波の記記憶から語り継がれていた話が浸透していたからこそ救えた命があったように、もしもBCG接種の有効性が証明されることがあれば、先人たちのお陰でまた我々は救われるのかもしれない。
歴史の教科書に載ることは確実の今回のコロナ禍、まだまだ自由に外出できる環境は先になりそうなわけで、自宅で古い漫画や小説を引っ張り出しては、作品消化後の意味合いの変化が無いかをチェックする小さな楽しみを見つけたいと思うのだった。

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