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パキスタンの桃源郷旅行記(と、ちょっとした文化的見聞記)

先月に夏休みを2週間とって、パキスタンを旅行してきました。いろいろ(本当にいろいろ)ありましたが、「桃源郷」として知られる北西の辺境フンザ(Hunza)への旅を中心に書いていきます。

私たちがパキスタン訪問を決めたのは、パキスタン人の知人(10年くらい前のケニア旅行中に出会って、以来やりとりを続けている)の老夫妻に長いこと、招かれていたから。早く来い来いとずっと言われ続けていたのです。6月7日、東京・羽田からのタイ航空でイスラマバードに到着し、同市近郊にある彼らのお宅にお邪魔しました。

6月9日:イスラマバード近郊→バタクンディ(Batakundi)

到着後、彼らのおうちやその周辺で1日体を休め、フンザ旅行へ出発したのは6月9日朝。メンバーは、日本側は私を含めて4人、パキスタン側は私たちを招いてくれた老夫婦に加え、彼らの息子2人、孫の男性1人の5人。あわせて9人。韓国KIA製のSUV2台に分乗して向かいました。

始めは高速をすっ飛ばしてすいすい。2時間ほどで高速をおり、しだいにでこぼこ道へと入っていきます。パキスタンと中国を結ぶ、いわゆる「カラコルム・ハイウェイ」。午後になると、まあ舗装はしてあるんだけど氷河が道の近くまで迫っているね(あるいはもう横切っちゃってるね)というようなところを何度も通り抜けながらの旅になってきます。舗装した道路でも川になってしまえば傷むし岩もごろごろしているので、でっこぼこです。

氷河からの川が流れる道路のうえをえっちらおっちら走り、北西辺境をめざす

泥の混じった氷の塊が道路のうえに出しゃばっていて、その氷塊を重機でよけたところを通り抜けたり、あるいは氷河から流れ出る川のうえをガシガシ進んだり。涼しくて気持ちいいからなのか、川のうえにベンチを並べてカフェみたいにしているところもたくさんありました。京都・鴨川の川床みたい。氷河を削って冷蔵庫にして、ジュースを並べて売ってたりとかもありました。

川のうえにベンチを並べる男性

また、羊やら山羊やらの牧畜がさかんなようでした。

カラコルム・ハイウェイ沿いの山で羊や山羊の牧畜をする人

あと面白かったのは、途中でダム建設現場を通過したこと。このあたりですね。

カラコルム・ハイウェイ沿いの川で中国が造っているダムの建設現場。電力が目的で、パキスタン側の期待は大きいという

老夫婦の末っ子で、私の乗った車を運転してくれたハッサン(仮名)によれば、中国のODAを使って建設中で、完成は2028年といっていたかな。たぶんこれでしょう。

目的は水資源というよりは電力で、完成したらその電気で工場も動かせるようになるし、地元の期待はとても大きいとのことでした。

目的地のバタクンディについたのは夜7時過ぎ(まだ明るかったけど)。車の中に座ってるだけとはいえ、長旅のうえに道路がガッタガタだったもので、なかなかハードでした。ただ、到着した宿のRoomy Mountain Top Resortはまるで絵本の中にあるようなとても美しいところで、これは嬉しかった。

Roomy Mountain Top Resortからの眺め

ちなみに標高は約2600メートル。夜はみんなでご飯を食べ、食後に私はハッサンたち若者3人とチャイを飲みながらトランプをする、という健康な遊びをしてから就寝しました。野外。毛布にくるまりながらだったけど、寒かったなー。部屋帰ったらシャワーのお湯出なかったし。

6月10日:バタクンディ→バンジ(Bunji)

この日はまず宿で朝食を食べながら、次の目的地をどこにするか少し議論(といっても、私は最後に意見を聞かれただけだけど)。というのも、フンザへ向かうのに近道となるバブザー峠(Babusar Top)が降雪で閉鎖されている可能性があったから。もし峠を通れれば5時間ほどでバンジへ到着できるけれども、もし通れないことを考えれば、遠回りにはなっても別ルートでパタン(Pattan)という別のまちへまずは向かったほうが安全というわけで、どっちがいいのか議論していたのでした。私は無難なパタンルートを推薦。

で、意見が通ったのかパタンへ向かうことになったわけですが、出発して2時間ほどたったときに「やっぱりバブザー峠が通れるらしい」という情報がいずこから入り、道を引き返すことに。が、午後2時くらいにバブザー峠の手前の検問所のようなところまで到着したところ、なんとストップが入る。なにやら峠がメチャ混みなので、しばらくたってから出直せと言われたらしい。

ふたたび道を戻って、途中のカフェみたいなところで食事したりトイレしたりしながら2時間ほどつぶす。カフェではたくさんの人が私たちと同じように時間をつぶしていたようなので、たしかに峠は混んでいるのかもしれません。カフェのわきには湖があってなかなかきれいなところなんですが、日本人同行者の一人(40代)は高山病で前夜から頭が痛いらしく、「早くいってくれ~~~~」と苦しんでいました。

カフェから見た湖。カフェの前では中国とパキスタンの国旗が仲良く泳いでいる

暗くなり始めてから(午後4時ごろ?)カフェを出発し、峠に再挑戦。今度は何とか通してもらえました。

カラコルム・ハイウェイの近道となるバブザー峠(Babusar Top)の標識。直前まで閉鎖されていただけあって雪に埋もれている

峠を越えたところで標高8126メートルの名峰ナンガパルバットが見え、パキスタン人一家は大興奮。なんでも、「ここから見えたのは私たちも初めてだ!」とのこと(まあ、疲れている私たちを鼓舞する意図も半ばあったのでしょうが)。たしかに神々しくて、あんな山に登ろうなんてそもそもおかしいんじゃないの、というのが初見の感想でした。

バブザー峠(Babusar Top)から見えたナンガパルバット。ここから見えることはわりと珍しいらしい

車を降りて記念写真をとっていたら、私は牛?のウンコを踏みました。せっかくなので、「ウンコと運は発音が似ているので、日本ではウンコを踏むことはラッキーなのである」との真理を車中でハッサンに教授しました。

バブザー峠は標高4200メートルでなかなか寒かったのですが、峠を越えてからは一気に山道を下り、それにともなって気温が急上昇。もう夜なのに40度くらいにまでになりました。激しすぎる。目的地のバンジについたころには、もう夜10時を過ぎていたと思います。

宿はパキスタン陸軍が管理するホテル(正式名称は不明。ここにある)で、橋をわたってゲートをくぐり抜けた先にあり、なんだか要塞のようでした。軍のそこそこエラい人にコネがないと予約のとれないホテルらしい。ただ、外観的にはけっこう立派なのですが、シャワーのお湯が出なかったりベッドサイドのライトスタンドがつかなかったり(そもそも電源コードが途中で切れている!)。政府管理で競争がないとこうなるものなんかしら。

それはいいとして、このバンジという町は周囲を高い山に囲まれています。したがって、周囲から吹き寄せる風は山にぶつかり、水分をすべて雪として降らせてから町の中に吹き込んでくる。しかも標高1400メートル超なのに、あっつい。というわけできわめて乾燥しているため、夜寝ているあいだに、のどを完全にやられてしまいました。

6月11日:バンジ→カリマバード(Karimabad)

ここまで来てしまえば目的地はもうすぐそこ、というわけなのか、この日はお昼ごろにのんびり出発。

バンジのホテルでのんびりブランチを食べて、このあとフンザへと出発。緑が多いのは水を地下からくみあげて植物にあげているからで、本来は砂漠地帯とのこと

老夫婦の友人がやっているカフェでサクランボなどの果物をつまむ、などの寄り道をしながら、フンザへ向かいました。

バンジからフンザへ向かう途中、サクランボやらアンズやらをつまみながらのんびりする一行

フンザと一口にいってもそこそこ広い。この日の目的地はカリマバードという地区の高台にあるEagle's Nest Hotelという宿で、まるで女性の指のように細くとんがった通称Lady's Fingerというという岩山も間近に見える、たいへんに眺めが良い場所でした。

左奥に見えるとんがった岩山がLady's Finger

到着したのは夕方で、眺めをちょっと楽しんでから部屋に入ったわけですが、この日は同行者の一人である70代男性が朝から体調が悪く、ずっとせきをしている。かつての喫煙習慣で肺が弱っているのに加え(あとで聞いたらCOPDとのこと)、バンジの乾燥した空気で呼吸器をさらに痛め、加えて高山病も起きてえらいこっちゃになっていた模様です。彼はこの晩の夕食をキャンセルして休養。

余談:家父長制について

旅の話からそれますが、パキスタン文化について少々。あくまで、私が会ったごく少数の人から得た印象ですが。

私たち日本人は今回、だいじなゲストでした。なぜかというと、彼らの一家で頂点に君臨する老夫婦の友人だったからです。

で、その頂点である老夫婦の70代男性であるアリ(仮名)が家族のなかでどんな感じにふるまっているかというと。

たとえばパーティーとかで一族が集まってくると、みなアリに近寄ってかしづき、頭をなでたりしてもらいます。男女いずれもこれをやります。なかなかすごい、でしょ?

アリのお宅はイスラマバード近郊にある陸軍用の特別なエリアにあって、彼はそこでショッピングモールを営んでいます。それで仕事を息子たちや親族にも分け与えている模様。要はけっこうなお金持ちなわけです。

そういう前提があるからこそ、なのかはわかりませんが、パーティーのホストというか差配する役を担うのも当然アリです。女性か、あるいは年齢が比較的若い男性が台所から料理を運んできて、アリの前に大皿を置く。それをアリがゲストの私たちにとりわける。とくにメイン料理で最初に運ばれてくる羊や鶏などの肉料理は、必ずこの手順を踏んで配られます。

料理は美味しいです。美味しいんですが、

アリ「一つか? 二つか?」
おれ「いや、もうおなかいっぱいっす」
アリ「(無視して)一つだな」

アリさんにごちそうになるときに毎食のように繰り広げられた会話

とかいうやりとりをしてこってりしたお肉がどんどん取り皿に盛られるのを毎回やっていると、異文化の料理であることもあって、しだいにきつくなってきます。いや、ほんとに美味しいんですけどね。ちなみに最初に肉料理がどんどんどんと出てきて、次にレンズ豆のカレーとかのスープ系とご飯にいって、さらにはマンゴーとかのフルーツをもりもり食べ、最後はもちろんチャイをがぶがぶ飲むというのが定番でした。

これは山羊か羊
郊外にあるアリさんの農園に息子たちとその家族が全員集合したときには、こんな豪華な串の鶏肉も

彼らが使っているウルドゥー語では、「お父さん」のことを「アボジ」と言います(韓国語と同じですね)。んで、「はい」「イエス」を「ジー」と言います。なので、彼らの話に耳を傾けていると、しょっちゅう「ジー・アボジ(はい、お父さん)」と聞こえてくる(と指摘すると、ハッサンはゲラゲラ笑っていた。そーゆー家族だという自覚はあるらしい)。「ネイ・アボジ」(いいえ、お父さん)は許されないんだろうなあ、と、まあこれは部外者の想像ですが。

女性はもちろん大変です。アリの孫の一人である17歳の女の子はかなり好奇心旺盛で、私にも熱心に話しかけてきました。

彼女は将来はパイロットになりたいそうですが、男性優位の社会で女性がキャリアを作っていくのはかんたんなことではありません。パイロットが家庭に常にいることも不可能だというわけで、彼女は「私は結婚したくない」と言っていました。「男性は台所に入るだけでバカにされるんですよ」とも。私としては、となりにいる70代日本人男性を指さして、「この人だって料理しないし、せいぜいお茶をいれるくらいしかできない。でも私の世代で料理する男性はたくさんいるし、社会なんて数十年たてば変わることもあるから」と慰めるしかありませんでした。

彼女のお父さんはわりと開明的で、彼女もふくめて3人の子どもはいずれ米国へ留学する(もしくはすでに留学している)らしいんですが、それでも彼女は祖国の社会に希望をあまり持っていないようで。

あとアリの息子の一人は幼なじみの女性医師と結婚していて(親同士が決めた結婚です)、その医師は夫のことを「すごくsupportiveでいい人だ」と言っていました。もちろんこういうバリキャリタイプの女性もいて、さらに彼女の夫は非常に気が優しくていいやつで、オレ様タイプのハッサンとはまったく逆。うまいことペアリングしたものです。ただ、彼はたしか子どもは5人以上ほしいとかいっていたけれど、すでに2人を産んでいる医師の女性は「もう要らない」とのこと。パキスタンは子だくさんの国で、世界銀行の資料によれば出生率は日本の4倍なんですが、まあけっこう早く変わるのではないでしょうか。

また、これは女性の日本人同行者からの又聞きですが、パキスタン男性に対するもっと深刻ないらだちもいろいろある模様。結婚してから夫にスカーフみたいなやつで顔を隠すよう指示されたのに、子どもばんばか産んで年取ってからはもう隠さなくていいといわれたムカツクー、みたいな(ちなみに感染予防のマスクはいま、女性の顔を隠すグッズとしてむしろ活用されている模様)。

あとサンプル数は10にも満たないくらいですが、女性のほうが英語が上手でした。パキスタンでは10年くらい前?に初等教育で英語が義務化されたらしく、若い人ほど英語が話せるわけですが、同世代で比べると明らかに女性のほうが上。理由はよく分かりません。

6月12日:カリマバード2日目

さて、旅の話に戻ります。

この日はのんびり観光。といっても、前述した70代男性の体調はかなり悪そうで、今日はホテルでいちにち休むという。さすがに放置はできません。私自身ものどをやられて風邪気味だったこともあり、一緒にホテルで寝ていることにしました。が、この男性が夕方にむくりと起き出して、コーラが飲みたい水じゃヤダとか謎に強く主張し…(名誉のため中略)…ホテルの外で倒れてしまって、近くの病院へ。

風邪と高山病をこじらせた70代日本人男性がフンザで受けた点滴。いや、助かりました

こんなこともあろうかと、ハッサンたちは現地の病院をあらかじめ調べていてくれていたようです。抗生物質を点滴してもらい、ホテルへ戻る。容体はこれでそこそこ落ち着きました。一時はマジでおれの目の前で死んじゃうんじゃないかと思ったので、ほっとしました。

6月13日:カリマバード→アッタバード湖(Attabad Lake)

Eagle's Nest Hotelから十数キロ離れたアッタバード湖へ。この湖は地滑りでフンザ川がせき止められたために2010年にできたばかりだそうなのだけど(避難者は多数いたけど死者は出ずにすんだとか)、何しろ桃源郷とあって風光明媚なのでさっそく観光地になっていて、湖畔にホテルがぽこぽこ造られている。

この日に泊まったLuxus Hunza Attabad Lake Resortもそのひとつ。カラフルでポップな感じの部屋がいくつも並び、広いテラスみたいなところにあるカフェではなにやら歌手が歌声を披露していて、湖ではジェットスキーやら高速ボートやらに乗った人がキャーキャー楽しんでいます。

Luxus Hunza Attabad Lake Resortから見たアッタバード湖

パキスタンにこんなところ、あるんですねぇ、という意外感をたっぷり味わいました。

アッタバード湖畔にあるホテルのカフェ。広々と人工芝がしいてあり、みんなのんびり。歌手もいる

ちなみにパキスタンの流行歌は、同行してくれた20~30代の男性3人が最新式のiPhoneで聴いてたのを横から聴いたかぎり、欧米のバラード風だったりラップ風だったりにパキスタンのスパイスをかけたみたいな感じです。スパイスの強さはものによる。で、サビのところが英語になったりするのは、J-Popとおんなじ。なかなか良かった。ただ、たまたまかもしれないけど、激しいロック的なやつは聴かなかったような。

あとインスタとかはみんな大好きなようで、彼らは「リゾートで豪遊するかっけーオレたち」みたいな動画をいっしょうけんめい編集して投稿してました。実際には泊まってないハイグレードの部屋を開けさせて撮影したりとか。うける。

このホテルにはビリヤードとかボードゲームとかができる遊び場もあって、例によってチャイとかコーヒーとか飲みながら彼らと遊びました。ほんと健全。

サッカーのゲームに興じるハッサン(左)と小宮山

6月14日:アッタバード湖周辺観光

この日はのんびり観光。車ですぐのところにあるパス(Passu)という村の山々(Passu Cones、最初は「パソコン」としか聞こえず、何のこっちゃと思いました)を眺めたり、湖で高速ボートに乗ったり。そういやあいつら、このときも豪華iPhoneで4K動画を撮ってましたね。

パソコンの山々

表現力ないので一口ですましちゃいますけど、ホントにきれいなところでした。

6月15日:アッタバード湖→イスラマバードへ帰還

はい。いろいろ大変な旅でしたが、中でもこの日が大変だったんですわ。

帰り道をまた車で行くのは軟弱な日本人にはつらかろうという配慮から、フンザの中心地ギルギット(Gilgit)へ戻り、そこからお昼過ぎの飛行機でイスラマバードへ戻るというのが、彼らのプランでした。

が、アッタバード湖のホテルを出発したSUV2台は、1時間ほどで足止め。途中で崖崩れが起き、通れなくなっていたからです。

アッタバード湖からギルギットへ向かう道で崖崩れが発生し、通行止めに

考えてみれば、そりゃ崩れるよねという納得感しかない山道です。前夜にすこーしだけ雨が降ったことが崩れた原因のようでしたが、たしかにとことん乾燥することでなんとか形状をとどめているといった印象の山。車を降りてそこらに落ちている石を見て回ると、非常にもろいことがよくわかる。

こんな感じの、おそらく石英系のもろそうな石が道路のまわりにごろごろ落ちている

こりゃ飛行機には間に合わんな、まあ数日足止めくらってもそんな困らないし、のんびり行こか~と覚悟を決めたわけですが、すると、なにやらスコップその他を持った現地の人々がわらわら集まってきて、開通作業を始めてしまう。でも巨大な岩が道をふさいでるわけですよ。まさか無理だよねと思っていたら、けっきょく1~2時間で何とか本当に道を通してしまったのにはたまげました。自助だねぇ。

とはいえ開通した道は車の幅ぎりぎり。いや怖いって。念のために私たちは車を降りて徒歩で通り抜けたわけですが、このときも「いま崩れたらどないしよ」と気が気じゃありませんでした(ハッサンは「お前はホントにびびりだな」と笑うでしょう)。

崩れた岩をどけてかろうじて道が開通したものの、幅は狭く、車が通るにはギリギリ。これがカラコルム・ハイウェイだ!

で、難所は越えたんですけど、ギルギットの空港はまだまだ先。ハッサンはここからエンジンがかかります。邪魔になりそうな山羊や人がいればクラクションで「どけどけ~い」とばかりに警告しながら、ぐねぐね道をすっ飛ばす。ギルギットの町中に入ると、道行く人に車中から声をかけて空港までの近道を聞き取りながら、さらにぎゅんぎゅん飛ばす。インディ・ジョーンズかよ。

てなわけで、なんとか飛行機の出発40分ほど前?に空港着。無事イスラマバードへと帰ることができたのでした。車だと数日がかりでも、飛行機だと1時間ちょいくらいで着いてしまい、たいへん楽でした。

ギルギットの空港からイスラマバードへ向かうパキスタン航空の飛行機

ちなみに飛行機に乗ったのは私たち日本人4人と老夫婦のみ。若い男性3人は車でイスラマバードへ戻らなくてはいけません。

本当にお疲れ様。ありがとう!

さらに余談

で、イスラマバード近郊に戻ってからは老夫婦の一族に次から次へと歓待される日々でした。前述した家父長制社会はそのなかで見たものです。

私たちはなかなかに本心から歓迎されたようです。打ち解けたあかしというわけなのか、ちょっと行っちゃう?みたいな感じで「パーン(paan)」という菓子?の屋台につれてかれたり、「ソーダ」と称する、市販の甘い炭酸飲料水にライムみたいな柑橘とかをいろいろ混ぜたものを、これまた屋台でふるまってもらったりしました。

謎の屋台菓子パーン。葉っぱの上にチョコのようなものを塗り、そのうえにミントガムみたいなのとかを素手でいろいろいろいろ次々に乗っけて完成。これを葉っぱごと丸めて食らうのが流儀。らしい
謎の屋台飲料「ソーダ」をつくるおじさん。市販の炭酸飲料にライムのようなものをしぼったり、色のついた塩をふったりしてシェイクすれば完成
深夜まで営業するカフェというか飯やさんというか。パキスタンの人は昼間が暑いせいなのかやけに夜更かしで、午前0時をまわっても、子どもを含めて平気で遊んでいる。この光景をみて小宮山はホッパーの傑作Nighthawksを想起したのだけど、わかっていただけるだろうか

彼らはお酒はいっさい飲まないので、甘いものがホントに好き。まあハッサンは若いころは悪だったので、こっそり酒飲んでパーティーに行って、アボジにどやされたりしてたそうなんですけど、20歳のときに「死んだらおれは神の前でなんと言えばいいのか」とか想像して改心してしまったそうで、今やすっかり敬虔に。旅の途中でもよくお祈りしてました。

とはいえオレ様なところは今もたっぷり残っていて、趣味の車もごりごりにカスタマイズしたりもしてます。めちゃ飛ばすし。でも、私は彼のそういうところが好きなんですけどね。

楽しかったよ、ありがとう。日本にも来てねー(来年くるらしい)。

帰国は6月19日。10人くらいがわざわざイスラマバード国際空港まで見送りに来てくれました。帰りはエミレーツ航空、ドバイ経由


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