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能力関係なく飛び出してみる

1年ぶりの更新です。今月で日本を出てからちょうど2年が経ったので、この2年をちょっとエモく振り返ってみたいと思います。

この2年で変わったことと言えば、だいぶ英語が話せるようになりました。インド訛りはないと思います。また、スパイシーなインド料理たちのおかげで胃袋がめちゃくちゃ強くなりました。今は世界中の何を食べてもそんな簡単にお腹を壊さない自信があります。そして、汚染された空気を吸い続けておそらく寿命が縮んでます。その反動でしょうか、昼はチキンサラダしか食べず週末はガチサッカー(インドのアマチュアリーグに参戦中)をしているので、感覚的には過去5年でもっとも健康な身体になりました。笑

参考までに、インドのアマチュアリーグはこんな雰囲気です。残念ながらこの試合はぼくは欠席でしたが。。

仕事の方はというと、1年目は何もかもが手探りで結果もプロセスもボロボロでしたが、2年目はそれらの反省を活かせたことでとても充実した1年になりました。うまく言えないのですが、この1年は今後のぼくの社会人人生を方向付けたと言っても過言ではないくらい、大切な時間でした。一定の結果も残せたし(これからもっと残しますが)、何より自分の中で結果を出すためのチーム内での役回りと、再現性のあるプロセスを確立できたことが非常に大きいです。

2019年に入ってからはインドに加えてフィリピンの事業も管轄しており、毎月インドとフィリピンを往復する生活を送っています。フィリピンにおいても、インドで確立しつつあった役回りとプロセスをインストール(と若干のローカライズ)することにフォーカスし、徐々に結果が数字に現れ始めました。チームの雰囲気も半年前に初めてフィリピンを訪れたときから結構変わった感覚があります(もちろんポジティブな意味で)。

そんな中、先日Twitterを眺めていたら木村さんのこんなツイートが流れてきました。

いや、ぼくがやってることの次元は木村さんとは比べ物にならないくらい低いのですが、こんなに共感するツイートを見たのは久々だったので、思わず載せてしまいました。

そうなんです、ぼくもそんなに英語話せません。海外で生活したこともありません。会社経営したこともありません。能力ないのに飛び出しちゃいました。飛び出しちゃったからには、なんとかやれる仕組みを見つけるしかありませんでした。試行錯誤を繰り返し、もがき苦しみ、その中でいくつかワークする仕組みを見つけて突破してきました。この突破口となった仕組みが、はじめの方で述べたチーム内での役回りと再現性のあるプロセスのことです。

また英語に関して言うと、ぼくはインドに来たばかりの時に、逆に流暢な英語を話せなくてよかったな、とたまに思います。英語を流暢に話せない分、それを補うためにテキストや数字や図表を使って、物事を極力シンプルに伝える意識とスキルがぐっと高まったからです。今では英語そのものよりも、この意識とスキルの方がはるかに仕事の成果に寄与してる気がします。

そんな感じで、例のごとくまとまりがない文章になってしまいましたが、木村さんの言う通り、今後も能力関係なく飛び出してその中でやれる仕組みを見つけて突破していこうと思います。先月たまたま江副さんの本を読んだのですが、これってつまり「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」とほとんど同じことですね、飛び込むことと創り出すことは厳密には違いますが。

最後に、そのような飛び込む機会を提供してくれた会社、そして能力ないのに飛び込んだぼくを受け入れ、日々サポートしてくれている各国のメンバーには本当に頭が上がりません。いつもありがとうございます!

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