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小さなご褒美

 「障害者として生まれて(になって)得したことはありますか?」と尋ねられた時、得したことがあると答える方はどれほどいらっしゃると思われるでしょうか。読者の皆さんの中には「得したなんて答える方はいないんじゃないか」と方が多いかもしれませんが、実はそんなこともないと私は思っています。
 ご存じの方も多いかと思いますが、障害者手帳を持っていると公共交通機関や病院、エンタテインメント施設(博物館、動物園、遊園地、映画館など)の利用料が割引になります。また、東京ディズニーリゾートには「ゲストアシスタンスカード」を使えば、待ち時間を別の場所で過ごしていてもいいというシステムもあります。
 ただ、ここでお伝えしたいのはこうした物理的なメリットではありません。肢体不自由に生まれたからこそ、さらに言えば脳性麻痺だったからこそ、感じられる喜びが私にはたくさんあるのです。
 それは、親はもとより「自分でも1人でできるとは思っていなかったこと」を自分の力でできた時、その数だけ喜ぶことができるということです。
 トイレに1人で行くことができた、片道2時間の通学を1年間続けることができた、講義中にノートを取り終えた、そもそも大学で単位を取得することができた。どれも大学生にとってはできて当然のことですが、私にとってはすべてが「奇跡」でした。
 ですから、「普通」のことができただけで、とてつもなく嬉しいわけです。喜べる瞬間がたくさんあるというのは幸せなことだと思います。反対に、日常生活において皆についていくことに必死だった学生時代、モチベーションを維持するために私は「小さなご褒美」をたくさん作っていました。
 それは、本当に些細なことで良いのです。「このレポートを半分書けたらテレビを見よう」に始まり、ある時は「もし何時まで集中力を保てたらアイスを食べよう」であったり、またある時は「テスト勉強中、このページが全問正解だったら少しベッドに横になろう」であったり、自分にとってご褒美と思えることなら何でも構いません。
 なぜこれを始めたかといえば、「自分にとってご褒美が必要だったから」と即答します。私にとってマジョリティの「普通」に合わせることは、人並み以上の努力が必要でした。実際、定期試験まで1カ月を切ると休日はほとんどレポートや試験勉強に追われる始末でしたから、小さな息抜きでもないとやっていられなかったのです。しかし、当時は私自身が皆と合わせることに価値を見出していたので、これぞ自業自得、ストイック生活でも仕方ありません。

 自分への「小さなご褒美」制度は、もちろん今でも実践しています。メジャーリーグで幾多の記録を打ち立てたあのイチロー選手でさえ、「満足感を味わうことが明日への活力になる」とおっしゃっているくらいですから、皆さんも自分へのご褒美、見つけてみてはいかがでしょう?


※写真は1年前の名古屋ライブ出発前。東京駅の新幹線の待合室。


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