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伝えていく使命 発信する意味

 このテーマを本格的に考え始めたのは、大学時代だったと思います。きっかけは大学に入学してようやく3か月が経った頃でした。次の講義に出席するため学内を移動中だった私に、後にゼミでお世話になる先生がこう話しかけてきたのです。 

私の道を切り拓いてくれた言葉

「長野くんだよね?私の講義で話してくれない?」 

 おそらく、(その先生と)きちんと話をしたのはこの時が初めてだったと思います。それでも私の存在が知れ渡っていたのは、間違いなく友人たちのおかげでしょう。今思えば失礼な話ですが、当時は試験前だったこともあり「他の授業を公欠にして下さるなら、ぜひ伺います」と答えたことを覚えています。
 そして、次の講義が行われる教室に入った途端、私を見つけたクラス担任が続けます。「お前、聞いたか?(給料)出るらしいから講義を休んででも行った方がいいぞ(笑)」

 まさか有償とは知らず(同時に、こんなことを言ってくれる先生もいるのか、と)正直戸惑いもありましたが、こうして私の人生初のアルバイトは「同級生への講義」という形で、突如実現したのです。
 授業を公欠にしてくれとはなんとも失礼な話ですが、そんな提案を尊重してでも講義の機会を与えて下さった先生には、感謝の気持ちで一杯です。教職課程履修者必修の『介護等体験の研究』が、私の“講師デビュー戦”となりました。
 当然、内容は粗削り、90分の大学の講義としては及第点にも満たないものだったと思います。しかし、あの時にいただいた拍手と味わった達成感は、未だに忘れることができません。
 その後、毎年講義を任せていただきましたが、次年度は資料を作成し、さらにその翌年は(資料に加え)PowerPointを取り入れるなど、内容のブラッシュアップを重ねました。また、学生生活では折に触れて学内の事務室を通じ、バリアフリーの働きかけも行っていました。もちろん、それは自分のためだけではありませんでした。
このような経験を通して「自分の経験を伝えることで、行動を起こすことで、誰かの役に立てるんだ」と思えたことは、当時の私にとってとても大きな気付きでした。

今も変わらぬ想いを着実に実践!

 その後、社会人として「仕事」とも向き合った今、抱いている強い思いがあります。それは、大学に行くことができたからこそ感じた思いと、言い換えることもできるのかもしれません。
 それは、これまで私たちのような障害者と呼ばれる人たちのことを知る機会がなかった、又はまだ関わったことがないという人たちに向けて、当事者の「リアル」を伝え、関わる機会を創っていくことこそ、私の使命だということです。
 現在、仲間の多くは幼稚園や小学校の教員として活躍しています。今や「クラスに最低2人以上は特別な配慮が必要な子どもたちがいる」と言われている時代です。しかし、今も昔も一生涯を自分の力だけで全うできる人など誰もいなかったのではないでしょうか。
 私はこれからも、未来ある学生たちをはじめ、1人でも多くの方に「障害」に対する正しい認識や知識、そして自身の経験を伝えることを通して、ネガティブをポジティブに変える発信を続けていきたいと思います。


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