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葛藤や戸惑いとどう向き合うか

 サイトに綴った文章は、僕なりの誓いでもある。

「オンラインとオフラインの両面から、良質なあたたかい空間創りを大切にし、声や活字によるコンテンツを追求・発信することで、皆さん一人ひとりの “Ryo室” な空間創りをお手伝いします」(トップページ)

「一人ひとりが「マイナスの感情も自分のもの」と認められる環境(=場所)を創ることを目指しながら、皆さんの毎日が今より少しでもプラスな感情で満たされることを願い、そんな時間や瞬間を増やすためのサポートをしていきたい」(代表あいさつ)

 これは僕が仲間と運営する団体【Try chance】のWebサイトに掲載したもの。 

 この”皆さん”が誰を指すのか。今思い描くのは当然、All peopleである。到底自分たちが直接すべての人たちに届けることはできないが、僕らが創り出すコミュニティに来てくれた人が口コミで、またはSNSを通じて活動を知って「東京の片隅でこんなことやってる人がいるぞ!」的な感じで拡散し、面白いと思ったら皆さんが住む各地でどんどん真似してくれたら嬉しい。


 今でこそこんなにオープンに発信している僕ではあるが、過去には負けたくない気持ちが強すぎてそれが露骨に現れてしまっていた時期もあった。

 時は今から6年前、2014年初頭。まだ病みも上がりきっていない中で行った、23日間の社会福祉士実習でのこと。実習の後半、僕は社会福祉協議会からの出向という形で職場から程近い障害者福祉施設に配属された。

 そこでアセスメントと支援計画の作成を任されたAさんに取った対応を、今でも鮮明に覚えている。痛烈な後悔とともに・・・。

 正直接し方が分からなかった。ストレッチャーと呼ばれる移動用ベッドに左向きに横たわり、顔と視線は常に左斜め上を向いて動くことのないAさんへの。話しかけてもレスポンスは返ってこない。何より僕自身、どこを向いて話しかけたら良いのか分からない。そんな戸惑いがあからさまに態度に出てしまったのだ。

 まだまだ抑うつと適応障害が残っていて自分のことだけで一杯いっぱいだったというのはただの言い訳。Aさんがもし会話ができていたら間違いなく、「お前はもう来なくていい!」と言われていただろう。

 残念ながらもうAさんの名前も覚えていないが、それ以来態度を改めた。より一層言動に留意するようになった。

「個人的に負けたくない!自分はあれもこれもできる!!と思うのはいい。でも、仕事中にそれは絶対に出さないようにしよう。プロとして」

 あの時にそんな想いを持つことができたおかげでその後、社内外研修で様々な”障害”に思いを馳せた研修を計画・実施することができた(と自負している)。

 そしてフリーになった今、負けん気の強さはやっぱり変わらない。けれど、こうして葛藤も見せられるようになったこと、誰も置いていきたくない!と本気で考え、コミュニティを運営できていることだけは少しだけ誇れること。


 これからは見えるところだけでなく、見えない部分でも、魅せていく。

いただいたサポートは全国の学校を巡る旅費や交通費、『Try chance!』として行っている参加型講演会イベント【Ryo室空間】に出演してくれたゲストさんへの謝礼として大切に使わせていただきます。