見出し画像

より道をしたい時におすすめの5冊+おまけ2冊

みなさまこんにちは、 @ryo_pan です。普段はSTANDARDで主にデザイナーをしています。最近は よりデザイン という個人屋号でも活動を始めました。
あ、あと写真とかカメラのサイトもあります。

ちなみにSTANDARDには本にまつわるメディアもあります(いちおう現在形……)

バトンが回ってきたぞ!

goandoさんからまさかのバトン指名……「めちゃくちゃ本を読んでそう」とご紹介を頂きましたが、たぶんそれ別の人です!

いやしかしご指名を頂いたからには何か書かねば……でもぶっちゃけ今年そんなに本読んでないんだよな……マンガでいいかな……とか色々考えた結果、シンプルに自分の好きな本を紹介することにしました。
デザインに類する本も読みはしますが、それはもう多くの方が書かれていますし(& BNNさんとオライリーさんの本を読めば間違いなし)。いわゆるUIデザインやUXデザインと直接の関わりはないかもしれないけど、心に残って、人生をちょっとだけ豊かにしてくれる(かもしれない)、そんなより道のような本を選んでみました。

ラインズ 線の文化史

ラインズ 線の文化史

一時期「◯◯の歴史」「◯◯の文化史」系の本を読むことにハマっていた時期がありまして、この『ラインズ』もその時に読んでいた一冊です。
余談ですがその他にも、ハマったきっかけであるミシェル・パストゥロー著『青の歴史(こないだまでプレミア価格で4万だったけどいま見たら1万まで下がってる…それでも高いけど)』『縞模様の歴史―悪魔の布』『色をめぐる対話』、ジョン ハーヴェイ著『黒の文化史』などもおすすめです。比較的読みやすくて面白いのは縞模様の歴史。

さて『ラインズ』ですが、タイトルの通り"線"をキーワードにした文化人類学の本です。発話や歌、記述にはじまり、ラインとは何か?という問いからはじまる分類、道や軌跡、糸、織物に模様や系譜図、生きること物語ること、線描やカリグラフィーなどなど……その探求先はさまざまです。「線」だけでよくこれだけの拡がりが出てくるなと驚く一方で、たしかに私たちの生活、あるいは私たち自身には多くの線があるのだと思い知らされます(なんだかジョジョの黄金比率みたいだ)。

中でも物語・ストーリーラインについて語られている一節は特に印象深いものでした。人生には物語ること、物語られること、物語り続けることがあるのだと気付かされます。

線を巡る不思議な冒険は、多くの発見や学びを読んだ人に提供してくれるでしょう。

物語を語ることは、語りの中で過去の出来事を〈関係づけて語る〉ことであり、他者が過去の生のさまざまな糸を何度も手繰りながら自分自身の生の糸を紡ぎ出そうとするときに従う、世界を貫く一本の小道を辿り直すことである。だがさらに言えば、ルーピングや編み物の場合のように、いま紡がれつつある糸と過去から手繰られた糸は、両方とも同じ織り糸である。物語が終了する地点、生が始まる地点は存在しない。
ロシアの文化人類学者ナタリア・ノヴィコヴァが最近の講演会で発表した西シベリアのハンティ族における自己同一性の意味についての論文によると、年老いたハンティ族の語り部は他の全員が寝てしまうまで話し続け、その結果、その話が本当に終わったのかどうか誰にもわからなくなるという。通常「物語」(story)と訳されるハンティ語の言葉の文字どおりの意味は道(way)である――それは伝統によって認可された行動規範という意味ではなく、辿られるべき道筋という意味であり、それに沿うことで人は行き詰ることも永遠に反復するループに陥ることもなく語り続けることができる。
同じように、毎晩野営地に戻ってくるオロチョン族の狩人によって語られる物語が獲物の死で締めくくられることはめったになく、踏み跡に沿って彼らが見たり出会ったりしたあらゆることがらが詳しく語られる。オロチョン族にとって、生が終わるべきものではないように、物語も終わるべきものではない。物語は、鞍に乗った人とトナカイが一体となって森を貫く道を縫うように進む限り、続いていく。そして鞍が引き継がれることによって、次の世代が前の世代の物語を引き受け、語り続ける。


死すべき定め ― 死にゆく人に何ができるか

死すべき定め ― 死にゆく人に何ができるか

人は老いた時、死へ向かい始めた時、どう生きるか。家族と離れ無味乾燥とした介護施設で残りの一生を終えるのか。家族に迷惑をかけながらも最後まで一緒にいることを選ぶか。あるいは他の選択肢を見つけるか。

生きること死ぬことについて私が考えない日はありません。そんなある日に出会ったのが『死すべき定め』です。この本は高齢者や終末期の患者に対して、近代医学が、あるいはそれらを取り巻く環境がどのようなアプローチができるのか、実際にしているのかについて書かれています。

この先、自分の親や兄弟、自分自身だって死すべき定めと向き合う時がやってきます。その時に慌てることがないように、この本は定期的に読み返そうと考えています。「死」という重いテーマを扱っていますが、ぜひ一度は読んで頂きたい一冊です。

過去半世紀以上にわたって、老病死の苦しみを医学上の問題としてきた。これは社会工学の実験だと言えるだろう。人間の欲求について理解するよりも、己の技術的腕前を磨くことをより大切にしている人たちの手に、私たちの運命を委ねるという実験である。
 この実験は失敗している。安全と保護だけが人生のなかで必要なものだとしたら、結論は違うだろう。人は生きがいと人生の目的を求めるがゆえに、そしてそれが可能になるような条件は日常的に否定されているがゆえに、今の現代社会がやっていることを評価すれば、失敗と言うしかない。
人が求めるものは、自分自身のストーリーの著者でありつづけることだ。このストーリーは常に変わりつづける。人生の旅の中で想像もできないような困難にぶつかることもあるだろう。気にかけていることや望みが変わることもある。しかし何が起ころうとも、自分の性格や忠誠と一致するようなものになるように人生を形作れる自由を保ちたいと願う。
死すべき定めとの闘いは、自分の人生の一貫性を守る闘いである――過去の自分や将来なりたい自分から切り離されてしまうほど自分が矮小化や無力化、奴隷化されてしまうことを避けようとすることである。


古典部シリーズ

古典部シリーズ

『古典部シリーズ』は『氷菓』のタイトルでアニメ化もした米澤穂信さんのシリーズ作品です。
「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」がモットーの折木奉太郎と、なんでも気になって首をつっこみがちな千反田える、2人の高校生活を中心とした日常ミステリー小説です。

ある時からミステリー小説、それも日常ミステリーって面白いなと思い始めた時期がありまして、なぜかと言うと「日常の些細な問題を類推して解決する」のって、まさに自分の仕事と同じなんですよね。サービスを考えたりプロダクトを作ったり、あるいは改善することの始まりって「たぶん〜〜だろう」が大半で、その確からしさを見つけるために分析したり人に話を聞いたりすると思うんです。それってミステリー小説の探偵じゃん!
その気付きを与えてくれたのが古典部シリーズ……詳しく書くとアニメ版『氷菓』の19話「心あたりのある者は」でした。このエピソードはある校内放送を聞いた奉太郎とえるが、その裏に隠された真実(かもしれない)に類推だけで辿り着こうとするお話なのですが、少しずつディティールが増していく様に「おお、これって自分のやってることに似てるぞ」と夢中になったのを覚えています。

ミステリーと言われるとシャーロック・ホームズなどの殺人事件を思い浮かべる方も多いかと思いますが、人間が持つ些細な心の機微を取り扱う日常ミステリーのほうが、仕事に活かせる学びは多いんじゃないかと思います(と言いながら、自分は古典部シリーズ以外特に読んでるわけではないのですが……)。

それと、当時熱があった時に買った『シャーロック・ホームズの思考術』も面白かったのでおすすめです。

 およそ十秒ほどもノートを見つめていただろうか。俺はおもむろに口を開く。
「まず」
「まず?」
「柴崎教頭は生徒を呼び出そうとしていることがわかる」
 千反田が作り笑顔を浮かべた。つまらない冗談に無理に笑うように。
「ええ。それはわたしもわかります」
 何か辛抱が垣間見えるような口振りだったので、弁解をしておく。
「勝負だからな。一応、事は慎重に運ばないと」
 そして続けて、
「その呼び出される生徒を仮にXとしておこう」
「……なんだか本格的ですね」
「そのXが複数なのか、それとも単数なのかは、いまの時点ではわからない」
 複数なら「心あたりのある者は全員」とか「心あたりのある者たちは」と言ったかもしれないが、それだけで断定するにはいかにも弱いだろう。


サードプレイス ― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

サードプレイス ― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

一時期 "コミュニティ" について調べていた時期がありまして、この本はその時に買ったものです。著者は「サードプレイス」という言葉を生み出したご本人。本書はアメリカが近代化の中で失ったコミュニティ……「インフォーマルな公共生活の中核的環境」に触れ、それを定義付けし、各国の事例について紹介しています。
ここ最近、コワーキングスペースや企業内のオープンスペースが多く作られていますが、コミュニティの形成・維持にはお金も時間も人手もかかります。今後、個人を軸にした働き方が増えてくると、コミュニティの重要性はより上がってくるでしょう。また、コミュニティという視点をもう少し広げると、そこには地域社会という別のコミュニティも見えてきます。コミュニティを考える時の手引書として役立つ一冊になるのではないかと思います。

……と書いておきながら、実はまだ半分も読み終えていません(500ページ近くあるので……)。

サードプレイスの考えが面白いなと思うのは、場の形成にあたっては特定の方向性や階層を設けないほうがいいらしいんですね(……と書いてあったような気がする……)。つまりは↑で書いたようなコワーキングスペースや企業内オープンスペースは実はサードプレイスにはなりにくい面があります。"公共生活の中核的環境"ですからね。一方で、もし今ある、あるいは将来作られるかもしれないスペースが、そういった地域に開かれた場所として成り立つことができれば、こんなに素晴らしいことはないとも思うのです。

「とびきり居心地よい場所」に恵まれた都市では、よそから来た者もくつろいだ気分になる――いや、実際にくつろぐのだ――が、それらがない都市では、住人でさえくつろいだ気分になれない。都市の成長が、その過程で増殖する固有の――人びとの生活に不可欠な――集いの場をもたずに進んでゆくとしたら、その都市の先行きは危うい。そういう場所をもたない市街地では、都市の本質をなすもろもろの人間関係や、人と人との多様な触れ合いを育むことができない。そんな環境を与えられずにいる人びとは、群衆のただなかにいても孤独なままだ。科学技術の進歩が社会にもたらす結果として予測できるのはせいぜい、個人と個人の隔たりがますます大きくなることぐらいである。


拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう

拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう

コミュニティについて調べていた時期に買った本その2。こちらはちゃんと読了。
完全に余談ですが、ここまでご紹介した5冊のうち3冊がみすず書房さんの本であることに気付いたでしょうか?実は私は著者買いならぬ「出版社買い」をしてまして、その出版社さんというのが、BNNさんと、みすず書房さんなんです。みすず書房さん、良い本をたくさん出されているのでぜひ皆さんもチェックしてみてください

さてこの『拝啓 市長さま〜〜』ですが、著者さんは以前に『知の広場』という本も出されています。こちらも図書館がテーマの本ですね。『知の広場』はまだ読んでいないのですが、この本の根底にあるテーマは『サードプレイス』と同じなのではないかと思います。つまり、公共生活の中核的環境ですね。
本書では、図書館が本を借りるだけの場所ではなく、地域におけるサービスセンターであり、老若男女・社会的立場を問わずすべての人を受け入れる居場所であることが繰り返し書かれています。

デンマーク発祥の実験的プロジェクト「リヴィング・ライブラリー」は、イタリアの小都市でも「ビブリオテーカ・ヴィヴェンテ」という名称で行われている。これは図書館で本ではなく人を「借り」、だいたい40分から1時間半程度、経験談などについておしゃべりをするものである。貸出の対象となるのは、移民、ホームレス、トランスセクシュアル、レズビアン、交通事故で身体に障害を負ってしまった人など、偏見の目で見られやすい立場にある人々である。どんな国にも偏見はあるだろうが今日のイタリアで優先されるべきは、市民と移民、あるいは移民の子供が知り合い、彼らもまたイタリア人であることを知ることである。
この「ビブリオテーカ・ヴィヴェンテ」は万能薬ではないが、うまく行っている。というのも図書館という中立の場所で、普段の生活のなかでは出会うことのない人や対立関係にある人と知り合い経験をともにできるからである。場所を提供するという単純なことで、図書館は無神論者、同性愛者、イスラム教徒、浮浪者、エイズ患者、ホームレス、滞在無許可者など、どんな人も遠ざけず、民間の場所とは反対に、図書館のなかではどんな人にも場所があることを示すことができる。不快ではない状況で浮浪者と知り合ったなら、彼らが「社会的カテゴリー」ではなく人間であり、不運な同胞であり、私たちの平穏な生活を脅かすことはないと分かるだろう。

その他にも、失業者や就職希望者が社会サービスを受けるため(相談窓口やパソコン講座、履歴書の書き方などが享受できる)にアメリカの図書館利用率が増加している話や、子供のための空間づくりの話、市民参加型の図書館の作り方の話などが書かれています。
一方で、図書館への絶対的な希望をもとに書かれていますので、別の意見も知りたいという方には物足りないかもしれません。


おまけの2冊

なんとなくおさまりが良さそうだったので5冊分書きましたが、せっかくなので他にも紹介したい本を2冊、簡単に紹介します。


MEAD GUNDAM

シド・ミード氏が「∀ガンダム」の仕事をした際のスケッチやサンライズ、富野由悠季監督とのやりとりをまとめた貴重な一冊。何が凄いかって、クライアントであるサンライズ側とやりとりしたテキストが時系列に沿って載っているんです。お互いの試行錯誤の跡が伺えます。そして何より、シド・ミード氏の線よ!ターンXのページとか惚れ惚れします。一度復刻した本ですが、いつまた無くなるかわからないので欲しい人は今のうちに手に入れるといいと思うよ!


心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門―エビデンスを「まなぶ」「つくる」「つかう」

一時期、エビデンスベースでのデザインは可能か?というのを考えていた時期がありまして、その時に買った本です。「心理職のための」と書かれていますが、プロダクト開発に携わる人が読んでも十分に学びのある一冊であると言えます。専門用語が多いですが読みやすい文章のため、さらっと読み終えられるのもいいですね。以下の引用は私の好きな一節です。

いくつかの事例を集めて、それによって何らかの治療法に効果があることを示そうとしても、それはきわめて質の低いエビデンスでしかない。重要な点は、事例をいくら集めたところで、それはデータではないということである。事例とデータは根本的に違う。このことはいくら強調しても強調しすぎることはない。データとは、系統的にバイアスを排除できるようにデザインされた研究から得られたものをいう。一方、事例はこうした手続きを欠くため、数多くのバイアスが紛れ込んでいる。
科学は、「人間は間違うものである」という謙虚な前提に立ち、その間違いをできる限り排除するために、さまざまな工夫を凝らして、事実に近づこうとする営みである。そこには、自然(人間も含めて)に対する畏敬の念が込められており、科学者たちの壮絶な努力の積み重ねがある。そのような努力を経てはじめて、われわれは「真実」に少しだけ近づくことができる。
(中略)
一方、科学に頼らず、自らの主観や独断で人の心を理解しようというアプローチは、人間の能力を過信したきわめて傲慢かつ危険な態度である。


というわけで、私のおすすめ5冊+2冊でした。少しでも興味を持って頂けたら幸いです。
余談ですがAmazonの書影を持ってくるときはこちらのブックマークレットが役立ちます(それでもnoteの場合は一度ローカルに保存しないと貼れないけど……)。

次のバトン

せっかくなので、STANDARDのメンバーに。もし書いてもいいよって人がいたら…ぜひ…!


頂いたサポートは撮影機材や執筆時のおとも(☕)などに使わせて頂きます