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NEW GUNてどんな感じ?〜vol.38〜

クリニックの担当の女の先生が産休に入った。院長先生と女の先生(副院長)はご夫婦で、片方働けないんだからと年始は4日から病院をやるという。看護師さんとえー!休ませてー!とブーブー言う。去年は2週間くらい空いたが、今年は普通に休まず毎週ハーセプチンに通うことになった。

12/23は息子グループの2周年の記念日。アニバーサリーライブは1月だが、23日は全国ツアーのファイナルで横浜のライブハウスでの公演となった。

私は出来るだけ手作りの差し入れを持っていく。この日は2周年とクリスマス両方のお祝いを込めてはりきって作った。


メンバーがそれぞれソロの曲を出して、息子も初めて1人で歌う。その日は生で聴ける初めての機会だった。

私は昼の部だけを見て帰ろうと思っていたのだが、ソロは夜の部しかやらないと言うので、様子を見ながら…と結局夜公演まで見た。

会場は完全なライブハウス。オールスタンディング。全国からファンの方がかけつけてくださって満員御礼。ぎゅうぎゅう詰めだった。

前月、息子のソロを音源で聴いた時、びっくりするほど上手くなっていて驚いた。でも、ライブは違う。緊張。

息子はお世辞にも歌が上手と言えるレベルでなく、ダンスだったりトークだったりは「もっと頑張らないとね」なんて言っても、歌のことは言わない方がいいんではないかと思っていた。努力してもなかなか難しいことをいうのは良くない。

でも、一人でステージに立った息子は見違えるように歌が上手くなっていた。下手だからこそ丁寧に歌い、動いているのは心を打った。
歌詞は自分で書いたという。ウエディングソングで本人が本当に結婚するのはきっとまだ先だろうけれど、彼らしい明るさが溢れたなかなかいい歌詞で、何よりものすごい努力をしたんだなぁ、と感じた。
それは、芸能を目指してるんだから当たり前だとかそういう次元の話ではなくて、まさにマイナスから不可能を可能にしたという次元だった。

その時私はスタッフさんがいる1段高いステージ脇から見ていたので、じっくりよく見ることが出来てよかったのだが、私自身も周りからよく見えたようで、息子の姿に涙が溢れた親バカ姿もたくさん目撃されてしまったw

息子の大事にしている3か条みたいなのがある。

・思い立ったらすぐ行動
・やってから考える
・出来ないことはない

こんなことを繰り返し言った気もするなー、と初めて見たとき思った。(ファンの方がtwitterにアップしていた)
息子が大人になるまで、好きになるものは大体私が興味を持ったことがないものばかりだし、何と言っても性別が違うし、私とは全然違う人間だと思っていたけれど、大人になるにつれ子どもというのは親の影響を受けるんだなぁ、と感じる。

そして、彼はダンスも歌もトークも全然出来ない状態でダンスボーカルユニットに加入し、いつの間にかリーダーになり、ソロで歌えるまで成長したのだ。

私の父親は私のためにというよりも「親の言うことを聞け!」ということにすごく固執し、私はダメだダメだと言われて育った。理不尽の塊だった。15の時に他界した母も厳しかったけれど、それは父の影響だったり、彼女なりの愛情だったことがちゃんと伝わっていた。息子に私は厳しいと言われるけれど、仲良くやってこられたのは、母のおかげだと思う。

色々事情があって、ここで話すのは初めてなのだけれど、息子は兄の子で元は甥っ子だった。母親代わりで小さい頃から一緒にいたけれど、兄と二人でやっていけるようにすることが私のミッションだと思っていた。
小学校に上がる時に一緒に住んだのだけれど、彼はとても内向的で頑固だった。やらなければならないことというのはあまり理解せず、反抗的なわけではないのだが、興味のないことには一切手を出さない。ご飯を食べさせるのもひと苦労だった。

もしも産んでいたら、父のように支配的になっていただろうか?と思うこともある。

あまり集団生活が得意でない彼に私が課したことはたったひとつ

「好きなことぐらい頑張りなさい」

だった。勉強しなさいとかは言わない。でも、自分が好きなことぐらい頑張れよ、と。

彼はそのたったひとつの約束を守った。私が無理じゃないかなー、と思っても、本人は好きなことだから頑張った。そして、歌えるようになったのだ。

2013年の年末、彼らは始動した。
2014年の4月、私たちは養子縁組をした。
その4ヶ月後、私の乳がんが発覚した。

息子はずっと歯を食いしばって頑張ってきたんだと思う。
私も頑張らなくちゃね、なんて軽い言葉では返せない。
必死だった若い頃の私(息子は私が19になるひと月前に生まれた)が息子に投げかけた言葉は、もっと上等になって返ってきた。

病気になった時、息子がいなかったら、自然療法とかを選んで、治らないなら死を受け入れていたんじゃないかと思うことがある。親子になれて幸せを感じていた時に乳がんになり、息子を不幸にしてしまう、という思いが強かった。だから、真剣に治すことを考えられたし、辛い治療も耐えられた。

私たちの関係性は書類一つで変わったわけではないけれど、息子になってくれて良かった。親が子に与えるものより、子に与えられることの方が多いな、とつくづく思う。

そして、正月は家族で毎年恒例の新年会。

だらだらとテレビを観て、お腹いっぱい食べて、さらにハーゲンダッツまで食べて、たくさん笑って…。

三ヶ日が開けて、私は早速病院に行きハーセプチン。
正月が開けて、8日に息子は24歳になった。


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