見出し画像

NEW GUNてどんな感じ?〜vol.30〜

20年くらい前、私は雑貨屋で3年間働いていた。仕事の基本を全て教えてもらった職場だ。GWの後にそのときの仲間の同窓会をやろうという話になった。

抗がん剤のアブラキサンは3週やったら1度お休み。ハーセプチンだけの日は副作用が比較的軽いので楽だ。GWの前はハーセプチンのみの週でさらにGWは病院が休み。みんなで集まる日は4クール目(アブラキサンは1クール3回×4クール)の始まる前日だった。

つまり、3週間近く抗がん剤を抜いているとても体調の良い日だ。


私は雑貨屋を退職してから飲食で働くようになった。

ここ数年は会社に勤め、会社のやっている飲食店で働いているのだが、そうすると自分の料理を食べてもらう機会がないので『スナック真由美』と称して、イベントやらバーやら個人宅やらで自分の料理を食べてもらう機会を作って来た。病気をしてからはなかなかそうはいかなかったけれど、同窓会は個人宅で開かれることになり、料理を作らせていただきたいと申し出てみた。

無理しないでね、と皆さん言ってくださる。


集まる人は全員お世話になった先輩で、若い頃の私は仕事が出来ない上に迷惑かけまくりメンタルのダメダメ人間だったが、成長した姿を見てもらいたくもあった。

何かとお酒を呑む職場で、酒豪だらけの中、私は禁酒中。みんながべろべろになっていくのが羨ましくもあったけれど、楽しむ側より楽しませる側が好きなのかもしれない。職業柄かもしれない。

病気をして、家事は今まで以上やるようになったけれど、社会で活躍出来ない自分に焦りを感じることも少なくなかった。

今は休むべきだと頭で分かっても、自分は怠けているんではないだろうかと責める気持ちになることが多い。必要とされないのも淋しい。でも、期待されても応えられる自信がない。

病気をする前よりはたくさん自分を許せるようになったと思うのだけれど、どうしても無力感、焦り、淋しさに暗い気持ちになることも多い日々。


退職後初めて会う人もいたりして、時空を超えて現役時代の話をする。そして、その後の道のりを互いに話す。出産とともに退職した先輩の子はもう高校生。震災の時の話。実家が原発の圏内だった人。来たくても来られない闘病中の人。私の病気の話など。


いつまでも話し続けていたかったけれど、一足お先に失礼した。

役に立てたこと、喜んでもらえたことがすごく嬉しくて、すごくすごく楽しくて、病気に関係なく深く付き合った人たちとの再会はすごく心を満たしてくれた。


そして、翌日は抗がん剤。

「後3回だね!」

体調を崩して点滴出来ない日もあったから予定より伸びてしまったけれど、順調に行けば5月中に抗がん剤が終わる。絶対体調を崩すものかと日々を過ごす。

マスク生活がちょっと辛い初夏。



目次はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?