忘れる力

嫌なことを忘れることが出来る力って欲しくないですか?もちろん基本物事にはメリットデメリットあると思うんで同時に楽しい事とかも記憶しにくくなったりすると思うんすけど。もし嫌なことってのがあって、それを忘れることが出来たら人生には楽しいことしかないっていう方程式が成り立ちます。嫌なことの反対は楽しいことだと思うんで。てことは記憶ってのは要らないってことになりますか?


(なんでこんな極論が成立するかというと嫌な事を忘れることができればいいことも忘れてしまうはずだからです。)


違いますよねーーーーーーーーーーーー。

記憶という言葉の意味範疇だけで見れば物事の良し悪しは判断できるかもしれないっすけど、その記憶ってのは生きていくうえですべての事象に掛かりますよね。失敗をするから次に生かそうと躍起になる、成功するから次に繋がるやる気が起こる、嫌なことと楽しいことは表裏一体。こんな感じでx=yの関係性だけでは表せないのが記憶なんじゃないですか。

ということは忘れる力は必要ないんですかー?そうではないっす。

そもそも”忘れる力”とかいう得体のしれないものが前提にあるせいで上記のようになってしまうんですが、そんなもの魔法としては存在しないので僕は言い換え?てみたいと思ます。これって上書きするっていう風に言い換えれるんじゃないですか。結局起こってる結果としては一緒ですし。嫌なことが起きたら酔っぱらって忘れる。当然っすよね。なんで 嫌なことからは逃げれないし、たのしいことは忘れません。


なんでこれを題にしたかというと今日高校の卒業式があったからです。友達のいなかった高校生活なんですが終わってみればなんか懐かしくて、ちょっと悲しくなったんです。それでこんな思いしたくないなーとおもって記憶屋の存在を所望したんですがそんな人現実にはいないんで、乗り越えることにしたんです。そのうえで論理だてるとしたら上みたいな感じになるかなーって。全部おれの思考なんで正確性とかってのは測れないんですけど。

わざわざこんなこと考えても高校卒業したことは変わらないし、先に進まないといけないことが怖いのも変わらない。でも多分そこにあるであろう成長っていう目に見えないものといっしょにすすんでいくんす。おわり


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