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【WEEKLY留学記㉓】(3/11~3/17)

久しぶりの投稿です。

2月末に降り積もった雪は、今週の初めに続いた晴れ空でようやく溶けて、ニューヨークにも春がやってきました。

その間テストやら、課題やらでしばらくnoteをお休みにしていました。WEEKLY留学記とうたいながら、不定期でお休みをするのは良くないですね。まあ、長く楽しく書くという意味で、投稿がない週は、「あ、ちょっと忙しいんだな」と軽く捉えてもらえれば、と思います。

さて、前々回のWEEKLYから、「アート」や「デザイン」という、ぼくが留学を始めるまでは、真剣に考えたことがなかった分野について考えていこうという話でした。これまで体験してきたこと、本で読んだこと、授業で勉強したことを考える材料にして、自分なりの「アート」や「芸術」、「デザイン」対する意見を持てる良い機会だと捉えています。自分の言葉でなにかを説明できたら、きっとそれに対して愛着が湧くと思うんです。

「アート」に対しては、「科学」との共通項に注目して考えました。美術史において大きな転換点であったルネサンスの勃興は、同時に近代科学を育む土壌を作ることになりました。聖書の中の世界から目の前の世界に目を向けたと意味で。今日に至る芸術の遷移も科学の進歩も、多くの人による「観察」と「分析」の繰り返しがあったからです。それぞれの「観察」する対象と「分析」に使う方法は違うかもしれないけど。

また、セラピーとして、コミュニケーションツールとして、アートが機能していることを割と身近に感じましたね。

アートって難しくて聞こえてたけど、案外身近で、暮らしの中にあって、何かを考えさせるような優しいきっかけなんじゃないかなと思うようになりました。日本に帰ったら、第五福竜丸をモチーフにした岡本太郎の『明日の神話』を直接見に、いつか渋谷駅に寄ってみたいものです。


発酵と腐敗の間にあるもの、また、デザインとは。

そして、今週は「デザイン」の話だけど、その前に。

石川雅之さんが描かれた『もやしもん』という漫画。今一番読んでみたい漫画です。YouTubeには、第一話から第五話がアップされていて、見つけた時についつい一気見しました。

酵母やカビ菌などの菌の存在が見える主人公をめぐる、とある農大を舞台にしたストーリーなんですが、微生物の専門知識を分かりやすく交えながら、ゆるいフォームの菌たちがいっぱい出てくる、めっちゃほのぼのとした世界です。

アニメの第三話で印象に残ったシーンが、、、

個性的な教授が、学生たちの前で酒造りを始める前に、発酵と腐敗について説明を始めました。

発酵と腐敗は基本が同じ。微生物の活動による現象だ。平たく言えば、それが人にとって良いようなら、発酵;それ以外なら、腐敗という。では、作業に移ろう、、、」

そう言えば、これ前にどこかで聞いたことあったかも、と思い返したら、ぼくの大学で留学を担当してる教授が言ってたことを思い出しました。確かその時の文脈は、異文化理解がいかに重要か、みたいな話だったと思います。

例えばね、これも『もやしもん』の第一話で出てくるんですが、キビヤックという発酵食品があります。カナダのイヌイット族やアラスカのエスキモー族が作る伝統的な漬物で、さっきの教授が土に埋めて作っていました。(教授が二人も出てきてすいません。こっちは『もやしもん』の方です。)

キビヤックは、海から捕ってきたアザラシのお腹を開けて、中に海鳥を70~80匹詰め込み、地中で2ヶ月以上熟成させて作られるそうです。寒冷地で、野菜からのビタミンを摂りづらいために、生肉から栄養を作り出す微生物を北極圏の人々が利用した最たる例だとか。初めてこのレシピを発明した北極圏の人に感心してしまいます。

でも、この前提知識なしに、初めてキビヤックを見た他文化圏の人たちはどう反応するでしょう。土から死んだアザラシが掘り返されるのを見た『もやしもん』の主人公も、さすがに引いていました。臭豆腐が放つ匂いに耐えられない日本人は多いと思いますが、あるデータによるとキビヤックは臭豆腐の約3倍の臭さを放つそうです(どうやったら数値化できるか気になるところですが。)。人に教えてもらわなければ、発酵ではなく、ただの腐敗と捉える人がほとんどじゃないかな、と思います。

実際、ジョン・フランクリンという19世紀の北極圏探検家は、エスキモー民族の食文化や生活の知恵に学ばず、西欧的な生活流儀に固執したがために、探検隊全滅に導くことになりました。

正しい知識で、自分とは違う文化を受け入れ、また伝えていく。良いかそうじゃないかを分かつものは相対的で、人間の評価が中心にあるということ。そんな思いをその教授は(こちらは『もやしもん』じゃない方。)、発酵と腐敗を通して伝えたかったと思います。

ところで、この『もやしもん』という作品、日本という土壌を反映するマンガとも思います。納豆、醬油、味噌、漬物、日本酒、黒酢、かつお節や塩辛など、日本を代表する発酵食品たちは数多くありますが、世界にもたしかに、パン、ワイン、チーズ、紅茶、もちろんさっきのキビヤックも立派な伝統発酵食品であります。でもどうだろ、湿気の多く腐敗菌が増殖しやすい環境でも、有用な微生物たちと共生できたのは、日本ならではの自然感に基づいてるんじゃないかな。神社がいつも森の中にあって、岩や木を御神体として祀ったり、俳句を詠む時に季語を入れるのがルールだったり。考えすぎかもしれないが、どこかでそんな精神の流れを日本人である石川さんが受け継いでいるのかもしれない。


ものの良し悪しは人が決める。「デザイン」の本質を考える時も同じようなことで、結局人が中心にあるんじゃないんでしょうか。(ぼくが、というか今日の社会が、このように人の感じ方を第一として考えるのはルネサンスの流れを受け継いでいるからだとは思います。)

赤いGマークで有名な、「グッドデザイン賞」。「良いデザイン」を社会に広める活動として毎年評価・推奨をしていますが、昨年2018年度のグランドアワード(最優秀賞)は「おてらおやつクラブ – 貧困問題に取り組む お寺の社会福祉活動 –」でした。

グッドデザイン賞と聞くと、ペットボトルの持ち手や家具の形が一番に思い浮かぶので、ほう、いわゆる「モノ」ではないんだと、初めは驚きました。しかし、今回評価を受けたのは、「システム」です。日本国内の子ども7人に1人が貧困状態にあるという社会問題に目を当て、解決に向けたある僧侶さんの思いが形となりました。

「おてらおやつクラブ」公式ホームページから

「最後にもっとたくさん食べさせてあげられなくてごめんね」とメモを残し、2013年大阪で起きた母子餓死事件がきっかけとなり、「おてらおやつクラブ」の活動が始まりました。一番の原因は社会からの孤立だということで、仏教の精神である「おすそわけ」を通して繋がりを作ることに注目したそうです。

子供の遊び場が増えること、お寺がこの現代社会で地域の中心になっていくこと、支援団体が地域に溶け込みもっと知ってもらえること。すごく良いと思います。

昨年の受賞の中から、もう一つ優しさが溢れるデザインを。

気付きますか?このちょっとした変化のおかげで、従来のクリップより約50%開く力を省けるそうです。「ステーショナリーカンパニーPLUS」という文房具店が出している「エアかる」という商品で、小学校で習う「てこの原理」を応用したもの。

2018年3月にこの商品が市場に並び、逆に今までなかったんだという感じですが、これを提案したこの会社の方はきっとめちゃくちゃ他人に思いやりがある人だと思います。もしかしたら、この技術にコストが結構かかるかもしれませんが。

何か(有形無形問わず)を作る上で、その先にそれを使う人たちがいて、その人たちが使うシーンを思い描き、形にできたものが、世の中で「デザイン」と呼ばれているでしょう。

その中で、「良いデザイン」はそれを使う誰かの生活を真に豊かにするものであると、グッドデザイン賞を運営する公益財団法人日本デザイン振興会は考えています。

何を当たり前の事を、と思うかもしれません。でも、ぼくにとってこれはこれから何かを作る時に、肝に銘じておきたいことです。大事なのは、自己満足だけで終わるのではなく、使う人と一緒に満足するというだろう。問題を理解して、分析して、そして今自分が持つ知識や技術と照らし合わせて、とやっていくけど、問題はいつも人が抱えるから起点はいつも人から始まると言ってもいいと思う。

最後にもう一つ紹介させてちょうだい。

2025年の大阪万博が決まって、日本を海外に知ってもらうええ機会やんと前向きな僕ですが、恥ずかしながら、その万博招致の時にすごく評価を受けたという大阪市にある「日本ポリグル」という株式会社をつい先日まで知りませんでした。

その社長の小田さん。大学時代に読んだ論文の一節「納豆のネバネバ成分・ポリグルタミン酸に水を浄化する性質がある」から着想を得て、数え切れないぐらいの安全実験を繰り返し、今はバングラデシュなどの発展途上国向けに大規模な浄水ビジネスをしています。

技術が完成して、最初は日本国内の自治体に売り込んだんだけど、当時は名もなく相手にしてもらえなかったようです。その後、2004年のスマトラ地震で被害を受けたタイへ、2007年にサイクロン被害を受けたバングラデシュへ、支援に行き、現地の人たちの飲み水事情をサポートしました。ところが、普段の生活から汚い水を飲んでいるという現地の人たちは、「無料でこれからもサポートしてくれ」とお願いをしたそうです。

しかし、これはビジネスであり、無料というわけにはいかない、というのが体力問題がある中小企業の本音でありました。そこで、バングラデシュなどに住む人にとっても合理的な価格に設定し、今では十億単位の売上を出しています。

小田社長のポリシーは、一方的な社会貢献ではなくビジネスをすることであり、自己犠牲の過ぎることは息切れをしてしまう、という浄水後のようなスカッとした考えを持っています。

でも、その通りだと思いますね。良いデザインはそれを使う誰かの生活を真に豊かにするもの、である一方で、持続可能であることも考えないといけないようです。尽くし過ぎるのもまたそれで問題。


うーん、今は無性にあったかいご飯と一緒に納豆が食べたい。

参考サイト:公益財団法人日本デザイン振興会




君に幸あれ!!!