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【WEEKLY留学記⑮&⑯】(11/26~12/9)

さて、今週の月曜日(12/3)からトビタテ第11期の応募が始まりました。

自身のTwitterアカウントでも呟きましたが、トビタテで留学をするのに、語学力、偏差値、経済力は正直関係ないと思います。

好奇心

これだけあったら大丈夫。トビタテの応募には書類と面接で合わせて二回の選考がありますが、これも今思えばなんですが、全部「学びたい気持ち」を見られてたんじゃないかな。世界中で留学している他のトビタテ生を見ていても、共通して好奇心を強く持っている人が多いと感じます。

じゃあ、好奇心ってどこから湧いてくるんだ?という疑問をほどいていくと、いや、実のところぼくもよくわからない。卑俗な言い方をすれば、ある種、性欲に近いものだと思うので、明日から身に付けろと言われても、何をすればいいんだろと思ってしまう。

一つだけ言えるのは、他人の目を忘れることかな。もっと知りたいのに、「そんなことに興味持ってどうすんの?」と横やりを入れられても、華麗にスルーしようよ。日本とアメリカの学生たちの積極性の違いは、同調圧力にどれだけ押されているかの差にあると思います。

僕は身の回りの友達にも日本から一歩外に出た経験をもっとして欲しい。少し、押しつけがましいかもしれないが、今のこの経験を独り占めしたくないのです。それを応援してくれるトビタテ、素晴らしいプロジェクトです。

もし、申請や留学計画書で気になることがあったら、いつでもご連絡ください。喜んで応援します。(mail: pkog4f3k@s.okayama-u.ac.jp)


さて、今週はアメリカや大学の関するトピックというより、これまでを振り返ってみて最近感じることと、先週WEEKLYを書けなかったぐらいすごく悩んだことについて。

普段のWEEKLY留学記はなるべく、初めてアメリカに来たぼくから見た、面白いなと思う情報を共有するようにしていますが、今週は少しパーソナルにして、僕のことを少しだけ知ってもらいたいなと思います。

最後まで読んでくれたら嬉しいです。でも少し長いので、もし途中で飽きちゃったら、また来週立ち寄ってください。


日本の教育のおかげで今の僕がいる

上海の9年間

大阪に生まれ、生後3ヶ月にして中国の上海に移住したぼく。上海市内の中心を流れる黄浦江(コウホコウ)沿いの住宅マンションの一室に物心が付く前から暮らし始めていました。


母は中国人、父は日本人。でも父に初めて直接会ったのは9歳の時で大阪に帰ってきた時。生後3か月から9歳の夏まで、ずっとここで、母の妹にあたるおばちゃんと祖母であるおばあちゃんと三人で暮らしていました。実は、おばちゃんは不妊症を抱えていたので、ぼくが息子のようなものでしたね。


ちょうど今年の夏、アメリカに留学する前に上海の実家に帰る機会があったので、おばちゃんとおばあちゃんに会いに行くことに。写真もその時に撮ったもの。

元気なおばあちゃん(92)


今思えば、女手二人でほんとによく育ててもらったと思います。叱るべきことをちゃんと𠮟ってくれて、好きなこともたっぷりさせてくれました。通っていた小学校、あの時はそんなことを知らなかったが、年間の学費が80万円ぐらいだったそうです(国籍は日本なので、外国人向けの料金でした)。

きっとこの学費が負担になったんだろう。9歳の時、大阪市内の公立小学校の3年生に転入することになりました。

よく遊びに行ってた蓬莱公园


大阪の9年間

小学校3年生ながら、生まれの地大阪に帰ってきたぼくは初めてカルチャーショックを経験しました。

食べる前の「いただきます」も、他人のお宅に入る前の「お邪魔します」も、なにもかも知らなかった。言葉も、コミュニケーションの取り方も。今のアメリカ留学よりひどい状態。

文化の違いだけでなく、他人との距離の取り方も微妙にズレてたと思います(割とトラブルメーカーだったかも)。いや、まだうまく言葉に出来ませんが、中国での一部の「普通」が日本では「問題」扱いされるんですね。

それまでは中国語に囲まれた環境でしか暮らしていなかったので、文化と共に日本語も一から学びました。ありがたいことに、大阪市内の小学校には日本語教室の制度が普及していて、週二回通っていたその教室で、専ら日本語の勉強をすることができました。

日本に来てから二年が経った5年生の時にはスラスラ日本語を喋れるようになっていました。でも日本に来るのがもっと遅かったら、日本語を覚えるのにはもっと時間がかかっていただろうと思います。

自分の名前パスポートの色ってすごい大事だと思うんです。きっと無意識に、小3のあの時から、周りの日本人と同じようになりたいと願っていたはずです。今では、こっちから言い出さない限り、ハーフ(ミックス)と聞かれることはありませんね。小中高の9年間を大阪で暮らし、大学生になった今の自分が持つアイデンティティは間違いなく日本人だと思います。
アメリカで生活する中で感じる違いは、この自分が持つ日本人としてのルーツと相対比較されて生まれてくるものたちなので、節々に、「あー、自分は日本人なんだな」と改めて感じる機会が多いです。


僕にとって、教室は家の外だった

小中高、ほんとに世間知らずの子だったので、大人を困らせては怒らせていました。そして怒られた後は大体いつもすごくヘコむという、後悔するならやらなければいいのに、と思うことがいっぱいあります。

でも、怒られる度に、友達とケンカする度に、その後の人生で大事なことを学んだ気がします。これは知識とかではなく、考え方だったり、共感する力だったり、ずっと続くものたちです。

ハッキリ言って、両親から、なにかを”直接”教えてもらったことは少なかった。遊び方も、勉強の仕方も、礼儀も、挨拶も、友達と一緒に遊んで、部活に行って、学校の先生に懲りずに怒られて、を繰り返し、そこから学んだものの方がよっぽど多いです。


なぜ、留学している今、ふとそんなことを書き出すのか。

日本の教育の中で教えてもらったことすべてが日本人のアイデンティティとしてにじみ出ていることを、異文化で生活してみてハッと気づいたからです。

ひとつ例が、

中学校の時、体育館シューズを忘れて下履きを持って体育館に入る時は、靴裏を合わせてから地面に置くことを徹底的に言われてました。なので、そんな教育を受けた人は、土足の場所と汚しちゃいけない場所の境界線がハッキリと心の中にあるんだと思います。でも、これって意外と当たり前じゃなかった。アメリカに来てからもう三回ぐらい、たぶんサークル後の学生だろう、テーブルの上に靴をそのまま乗せていたのを目にして、違いを感じましたね。(もちろん、これは文字通り一例であって、一般化はできないし、日本にもそんな人はいるかもしれない)

これは一番印象に残っている例ですが、色んな場面で、それも精神的なところで、世界で見ても日本人特有の気質があるような気がします。そして僕の場合は教育が一番が影響してるんじゃないかと。家庭の外で、学ぶことがよっぽど多かったので。

もちろん、日本の教育には改善すべき点も。例えば、落合陽一さんの今話題の「ゼロヒャク」という本からの引用ですが、理論的な言語の使い方の訓練が足りていないという側面もあったり。


良くも悪くも、多かれ少なかれ、教育は物事を見るフィルターと言っていいでしょう。ここアメリカに限らず、ぼくがこれからまた別の国に留学する機会があるとしたら(中国かもしれないし、他の国かもしれない)、きっとぼくの中にある日本人というフィルターを通して世界を感じとると思うし、新しく学ぶことはすべてこの教育という基礎の上に積み重なっていくことになるはずです。

なんか、抽象的ですいません。まとめますと、これまでを振り返って、学校の教育には精神面を変える力があること、アイデンティティを確立させる役割があること、そして留学はそれを気づかせてくれる機会であることを伝えたかったです。



一瞬、留学を諦めかけた

ここからはタイムリーな話題を。せっかくの留学を断念しかけた理由は一択で、資金が足りなくなることが判明しました。

今のぼくの生活費はすべて奨学金で賄っています。JASSOの奨学金の第1種、第2種を合わせて月々10万円弱、冒頭に書いたトビタテから月々16万円で全部合わせて、月26万円ほど頂いている状態。

たぶん、月26万円貰ってるのに資金枯渇って聞いて、びっくりする人がほとんどなんじゃないかな。ぼくも留学前の算数では、節約すればまあ足りる予定でした。

蓋を開けてみると、月々あたり大学に支払うお金だけで約25万円かかることが9月の下旬に分かり、その頃から焦り始めていました。持ち前のどうにかなるだろ精神も同時に働き、誰にも相談することなく11月に突入。

そして先週、秋学期の残っている滞納を支払いきらないと、来学期の授業の履修登録ができないことも判明しました。来学期の授業が取れないとなると、アメリカの学生ビザの条件(学期あたり12単位取得)を満たせないので、強制帰国ということになる。今の時点で、70万円ほどがまだ未払い状態。そこで初めて、よし担当教員に報告しようとなりました(遅すぎ)。

でも、正直、ただ単に資金不足なら耐えてましたが、母に言われたひと言にグラッと来ましたね。

「こっちでは大変な生活をしているのに、あんたはアメリカに行って贅沢をしてる」と。

そりゃあ、月々26万円が振り込まれる口座を見てそう思うだろうし、母もそれなりに大変な生活をしているのも分かっている。もともと、大学に行くことを賛成されてなかったので、その火に油を注いでしまった感じ。

どうしよう。帰って仕事を見つけてお金を稼ぐしか。

そう思いながら、留学期間短縮と腹をくくって、大学の担当教員に相談しました。

・・・

・・・

で、話し合いの結果、途中棄権する方がよっぽど難しいと。

じゃあどうしよう。よし、ニューヨークでお金を稼ぐしか。

となって、今に至ります。なので、実はこの資金問題はまだ解決されていませんが、やるべき方向性が決まりました。マンハッタンの中心で何か売って、どんどん大きくして、来学期の大学の費用を賄えるようにしようと今動いています。

クラファンも考えましたが、自分でできることを全部やり切ってから、最後の砦として残しておきます。もし、僕がクラファンを始めたら、その時はぜひ協力してください!!

留学ってキラキラしてて華やかに見えるかもしれませんが、実はトラブルも付き物です。そんなものも引っ括めての「留学」なので、ぼくはすごく楽しんでます。母に言いたいのは、この「贅沢」を必ず価値あるものに変えて、家族に還元することですね。シャイな性格なので、直接言いませんが。



今週の最後に。

上海に9年間、大阪に9年間、岡山で大学生をして1年少しと、アメリカでもうすぐ4か月。これまで、お金に苦労してきた場面は少なくなく、お金の大切さも分かってきたが、お金よりももっと大切なものが確かにある。これまで積み上げて日々の中での人と人の繋がりは、いざという時に力をもらえるし、何にも替えられないものだと思う。「一緒に頑張ろう」と言い合えるのは、やっぱり友達しかいないからね。これを読んでるあなたも、そのつながりをしっかり持っているはず。僕も、もう少し、人に頼る力を付けるべきかな、なんて思ったり。

冒頭にトビタテを宣伝しましたが、いつでも相談をお待ちしています。ぼくみたいに資金に困るケースはまれだと思います。自信もって留学への一歩を踏み出してほしいです。

ここまで読んでくれてほんとにありがとうございます。

次回はしっかりと役に立てるような情報を届けたいと思います。では、また来週!!


君に幸あれ!!!