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菊姫が旨い日曜、トローチが旨い月曜(前編)

「明日の今頃には私はきっと泣いてる」

そんな歌詞が登場するラブソングが昔あった。

昨日の今頃、私は酒を飲みながらそんなことを思っていた。


そのラブソングは、初恋の相手を思うものだった。しかし自分の場合は特定の誰かを思い浮かべて…ということではなくて、昨日の今頃自分がいた場所があまりに楽しかったもので、その場を思って、そう感じていた。

ひとは生きているうちに何回酒を飲むのだろう。
そこで飲んだ酒と空気が混じり合って、他のものでは代えがたいような感慨をもたらす機会に何度巡り会えるのだろうか。

どうせ体に悪いものを飲むのだから、酒を飲む場は常に楽しくあるべきだ。そんな風に思っている。だが如何せん飲む場が毎回毎回とても充実する、ということはない。

ゆえに、素晴らしい飲みは特に胸の奥に脳の奥に刻み込まれる、とも言える。

玉石混交の酒の場の感慨。細部はきっと、明日になれば忘れてしまう。
でも細部は忘れても、素晴らしかったという思いはきっと、明日になっても忘れない。

現に今、それは忘れていないから。やっぱり素晴らしかったのだ、昨日は。

今日書くのは、そんな場の話なのです。

冒頭がやや大げさかなあ…。

や、大げさだけど、だって素晴らしいことは素晴らしいのだもの。大げさに、誇張して、あることないこと含めて(ないことはダメだろ)、書き残したいじゃないか。

確かにあの時あの人達と笑ってたって、思い返したいじゃないか。


昨日、一昨日のnoteを読んでくれた人は知ってると思うけれど、東京の恵比寿にある飲み屋さんの周年パーティーへ行ってきた。

東京に向かう前、バスの車内、ついてから恵比寿に向かうまで、どこをとっても体調不良の匂いしかしない危険な感じ。
いやあ年イチの機会でそんな風になるあたりがこれまたりょーさけ的だなあ、と感心してしまう。

感心しても体調がよくなることもなし。でも恵比寿駅をでてからいろはすを飲んだら少しばかり良くなったような。

水は大切だね。いやあそれにしても汗が出る。

それでまあ、お店に行ったわけだけれどとんでもない大盛況ぶりに思わず言葉を失った。通常営業では多くても15人程度くらいのお客さんで賑わうお店だけど、推定で60人弱くらいの人でごった返していた。

「ちょい遅めに行けば落ち着いて飲めるだろう。」とか算段を立てて、恵比寿駅前でいろはすを飲んだあと、カロリーメイトを食べていた私にはそれが予想外過ぎていやあなんだかもう…。

こちらには元日の新年会にもお邪魔したのだけれど、その時もなかなかすごかった。

なんだろう、お祭り感が全開だった。

普段がやや落ち着いた雰囲気で真剣に(?)お酒と料理を味わう感じの店なので、このギャップには驚かされる。

そこからはもうあれよあれよという感じで、そのお祭りムードの中で笑いながら飲んでいた。多くの人が笑っていた。ある人は店員さんと冗談を投げかけあっていた。500円払うとほぼおまかせで出てくる日本酒は、その殆どが原価割れしていた。King Gnuの「白目」、ではない、「白日」が流れる度にアルコールでしゃがれたファルセットで口ずさむ人が何人かいた。皆その店の思い出を語っていた。店主が本搾りを飲みながらできる限り多くの人と話そうと動き回っていた。昨日は知っている店員さんがみんないた。明らかに普通に場が回せてるわけじゃないけど、お客さんたちが不便なところを進んで手伝ってみんなが楽しめるように気遣い合っていた。自然に。こういうの、いいじゃん。積み重ねって偉そうに語るものじゃない。示されるものなんだ、って合点した。

とにかく汗ばかりが出た。けどそれは体調不良で身体が熱かったからだけじゃない。通いだして1年目のにわか客ですらこんな風に、いいなあって思える。ここは素敵じゃないか。自然と目頭は熱くなる。

真剣なことを真剣にできるって、素敵だ。
けれどそれだけじゃやっぱり飲み屋は窮屈だ。
時にふざけたようなお祭りで、はっちゃけられる飲み屋は素敵だ。

ね、酒は楽しいものだよ。なにより美味しいものさ、そう、楽しいものさ。

それ以上は全部プラスアルファなのだ。
しかしそれがなければ酒場にはならない。

で、そんな楽しい酒場にいたっていう話から、なんで冒頭のような流れになって、で、今「トローチ美味しいなあ」ってなっているのだろう。

周年パーティーへ行って飲んで、それとはまた違う酒の場に行って、新潟に帰ってきて、今に至る。

ざっくり言えばそれだけの話なんだけれど、そこに至るまでには何だかまた紆余曲折あったりしまして…。

そうだな、もう一日語らせてください。
明日は後編です。

それでは、また。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。