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「お父さんとコレ、乗れないの?」

って2年後に長女に言われたらどうしよう、って思った。新幹線に乗るときとかに。朝一番に読んだ記事は、そんな不安をわたしに持ってきた。

noteユーザーの多くはきっと目を通しているでしょう。その記事ってのは犬山紙子さんの記事です。

見ていない人もいるかも知れないから貼っておきますです。

犬山さんの旦那さんが2歳半の娘さん(超絶イヤイヤ期)とふたり新幹線に乗っていたら、娘さんがイヤイヤしすぎたためか誘拐犯かと疑われ、駅到着と同時に警察に事情聴取をされたそうな。


このどこからどう見ても色とりどりの泥沼が広がりそうな話題を投稿するあたり、エッセイでやっていってるだけあるなあと感心した。

いや、感心している場合じゃない。自分の心配をしないと。

まず第一に、わたしはあんまり愛想がいい方ではない。子どものあやし方も「おまえマジで2児の父?!」と言われそうなくらいよそよそしい。

子どもが嫌いなんじゃないぞ。むしろ大好きだ。

でもなんというか、子どもという無垢な存在を前にするとこう、気恥ずかしくなってしまって素直にかわいがれないのだ。

しかも公衆の面前。なんだろう、人前で子どもかわいがるのって難しくないですか?!わたしが素直じゃないだけですか…。

第二に、わたしはあんまり人相がよくない。(第一と似たようなものか)

要するに、「人は見た目が9割」といういつかの本のタイトルが正しいとするなら、真っ先にしょっぴかれそうな面をしている

夫婦ふたりで立っているとかなり中和される。妻は見た目の警戒感が非常にゆるい。ツボを売られそうになったり、マ○チ商法に勧誘されたり、これまで未知の世界へ誘われそうになった経験は数しれないくらい平和な雰囲気をしている。

そう、わたしの隣から妻を引くと大変なことになるのだ。(何の話だ)

あとわたしは気が短い。同じようなことになったら犬山さんの旦那さんのように冷静にはなれない。警官なんてやってきたら、誘拐犯じゃないのに動揺しまくって逆に怪しくなりそうだ。

デッキに駆け込んで子どもが泣き止み、難を逃れたとしても今度は私自身がまあまあスペースを取る体型をしているから迷惑だと叱りつけられるかもしれない。なによりもライザップとエステが肝心なのではないかという気がしてきた。困る。


自分のことを考えるのはちょっとつらいので福島に修学旅行に行って五色沼を見た時以来の沼観光をしてみよう。


「そもそも子どもつれて新幹線乗るな」沼が広がっている。この国ではなかなかポピュラーな沼だ。沼にこの間本を読んでいて「だよねっ!」ってなった言葉を引用して叫んでみよう。

日本の少子化の最大の原因は結局のところそれではなかろうか―子どもができたら、少なくとも十年は夫婦で外食もいけないし酒も飲めないしコンサートにもいけない、そんな国でだれが子どもをつくろうと思うだろう。

東浩紀、『テーマパーク化する地球』の35ページから引用
※引用に含まれていないが1行目の「それ」は引用文のちょっと前にある「社会的弱者を抱えた家族は旅行に出ることすら難しいこと」を指している

いやマジでホントそうです。

東さんは本の中でアメリカナイズドされた旅客船クルーズツアーについて述べている文中でこの一節を使っているから、ドンピシャで今回の新幹線の出来事とシチュエーションが一致するわけではない。

しかし、この事実って結構重くないだろうか。

子どもをつくれ、という外圧は現在も依然として強いままだけれど、つくった瞬間から著しく自由が制限される…。イケメンや美人であってもベリーハードモード確定である。


あ、今度は目の前に「もっといい立ち振舞方があったでしょ!例えば~」沼が広がっている。ここはなかなか素晴らしい景色だ。笑顔でクソを投げあっている!もしかしここは沼じゃなくてお台場じゃないのk…ゴホンゴホン。

断片的にしか情報を知らないところでご丁寧に解決策を提示する人は、きっと解決じゃなくて自分の手法に関心があるのだろう。おそらくその手の人は実際の現場にいたとしても犬山さんの旦那さんの立場の人の助けにはならないんじゃなかろうか。むしろその状況を見て「わたしならこうするのに!」と隣人に愚痴るか、それをまたSNSで晒すかが関の山な気がする。

(助ける自信のある人にはぜひ苦境に陥った方を助けてほしいのだが、あいにく公共の場でぐずる子どもの相手に手こずる親御さんを気遣う人を見る機会が少なくて想像がつかない。)


沼は五色どころでなくもっとたくさんあるとは思うが、憂鬱になるのでこれくらいにしておこう。身体に悪い。ぜひ三重に(「みえに」ではない)張ったフィルターとか頼りないツールによる一時しのぎでなく、根本的な水質改善に取り組んでほしいと思う。

とりあえず、そろそろ「みんな通ってきた道だから子育て中は色々我慢しよう」という消極的なスローガンを掲げるのをやめてみたらいいんじゃない。我慢には限界がある。我慢が必要だとしても、たまには方向を変えよう。子どもを持った人だけが我慢をする(例えば「自己責任だ!」みたいな感じで)のをちょこっと変えてみるだけでもいいのではないだろうか。

そういう方向を向くためにはその先に何らかのビジョンがなきゃだめなわけですが。お説教臭いことを言えば「巡り巡って自分にとっていいこともあるもんだよ」とか。ビジョンとか高尚なもんじゃなくて正直何でもいいのですが。妖怪が出てくる昔話とかしましょうか。

そういう遠回りな方法をとるより自分の目の前の、というか精神の?体の中の?不快さを薙ぎ払うほうが楽なのかなあ、でもそれはちょっぴり寂しくはないですか、というかワンパターンで飽きませんか。一寸先のことはどうなるかわからない。でもやっぱり同じように振る舞ってたら同じように不快の連鎖が続くと思うんですよね。だからちょっとおもしろく、果てしない闇の向こうにOhOh!手を伸ばしませんか。それでもトゥモローはネバーにノウズだとは思いますが、まあ雨に濡れぬ場所を探すより、星空を信じて出かけませんか。

とりあえず、今日もちょっぴり現代にドロップキックしましょう。(しつこいか)

最後何が言いたいかわからない人は、ミスチルファンに聞いてみてください。おやすみなさい。お父さんは君たちとも新幹線に乗りたい。



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