見出し画像

もしユートピアがないのなら

気づくとスマートフォンをじーっと眺めている。気づくとテレビが流れている。気づくと昨日のカップ麺がまだ流しにある。というような日々が続くと自然、とりあえず今日もまずは寝たい、となる。仕事の昼休みや細切れの時間で余暇と言えるかギリギリの時間を過ごして、ちっちゃいけど楽しいその時間を大切にするようになる。読書とか。ちょっとゲームするとか。気の合う同僚となんか愚痴るとか。仕事が終わった瞬間がこの世で一番幸福に感じて、嬉しくなる。車に行くまでの足取りの軽さを愛している。今日はなにか楽しいことができるかなあ、と感じながら家についてまた、テレビの前に座っている。なんだこれ。これでいいのかと思い始める。なんか調べ始める。段々と周囲との空気の違いを感じてくる。職場で。ちょっと身体が軽くなって仕事を頑張れる。余暇も楽しくなるかもしれない。ちょっと楽しくなる。でもこれでいいのかと考えて考えて日々を過ごす。心機一転、いる場所をかえてみる。楽しくなる。頑張る。なんかうまくいく。しばらく経って、気がつけばスマートフォンが目の前にあって、その奥には食べかけのカップ麺といつからつけたかわからないテレビが音量大きめで流れている。ずっとこんなことを繰り返すのだろうか、と思って西友で買ったPBのチューハイをグラスに氷一杯入れて飲む。甘い。それ以外の感覚はとうに凍りついてしまったのだろうか。甘くてシュワッとしている。衣がベタベタした味の濃い揚げ物を食べて、チューハイを飲んで、食べて、飲んで、飲まれることはないのだけれど(何しろ明日も仕事だし)、甘い以外の感覚がなくて。しびれる瞬間などはなくて、むしろ痺れきってしまって応答しなくなった心の痛覚とか、なんかそういうところを思いやって、時計。まだ22時20分。40分だったらちょっと嫌だったな。やった、20分。ニュース番組をつける。政府はまた何か隠蔽をしたらしい。どうでもいいな、と思いながらするめを噛んでみる。あたりめって言った方がいいのか。どこかでは紛争があって、ひとが殺されて、ハラスメントに苦しむひとがいて、ふーんとなってる。苦しいひとがいるんだね。自分は心を痛めたほうがいいのだろうか。ただ痛めて何になるのだろうか。じゃあこのままずーっと過ごして過ごして、どうなるのだろうか。ユートピアがないのなら、ないなりにザラザラした大地の上にツルツルの理想を打ち立てていくしかないのかもしれない。それにしても、まっくらな夜のチューハイは甘くて、疲れるのであった。腹の肉が重い。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。