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日本酒の普及は日本酒の知識の普及とは全く別問題だと気がついた件。

日本酒が日用品のように生活に馴染んだものになれば、日本酒の知識も自然と普及すると思っていた。更に踏み込むとそれでマニアックな商品が売れたりコアな楽しみ方が流行る目もあると思っていた。

ところが最近そのなんとなくの認識が間違いではないかと感じるようになってきた。以下簡単に理由を述べる。

その前に当世風に但し書きを書いておく。全く面倒な世の中だ。

この文章は「知識が広がらないじゃないか、知識に関心を持たないやつはクソだ」と糾弾する文章ではない。ここ、結構重要。勘違いする人が多すぎる。

はい、では本題。

まず自分がなぜ「日本酒自体が普及すれば日本酒の知識(及び凝った楽しみ方)が普及すると思ったのか」について。

これは多分自分がそうだったから他人もそうだと思ってしまったのだろう。全く素朴な認識にほかならないが、事実だすみません。

幼稚で呆れた人もいるかも知れないが、同時にギクッとした人も100人に1人くらいいるのではないかと思っている。

自分が好きになったように人も好きになるだろう(なってほしい)という認識が素朴で強力で、故に危険である。こういう単順な認識は廃して慎重に行かなければならない。

おひとりさん、僕と一緒に反省しましょう。

と、ジョークは軽いとこでやめといて、本題の本題。

なんで日本酒が普及しても知識や楽しみ方などは広がらないか。
(ここでは少々単純化して「普及する」=「日用品になる」と解釈する)

それは、すでに我々の日用品になっているものを考えてみれば分かる。

家にあるものを眺めてみてほしい。
例えば洗剤や消毒液。そういうのだとわかりにくいなら、日用品とちょっと違うかもしれないが冷蔵庫の中の野菜、肉、あるいは調味料とかでもいい。

これらについて詳細な知識(単純な経験則ではないヤツ)を持っている人はどれくらいいるだろうか。

洗剤などにはどうして酸性とアルカリ性があって、更にその中でもいろんな種類があるのか。野菜は加熱したら栄養素が増えるのか減るのか。肉は期限の何日前くらいが一番美味しいのか。それらは(経験則でなく)どれくらい日持ちするのか。

それらについて調べる人がどれくらいいるだろう。

調べたことに関して検証する人がどれだけいるだろう。

多分そんなにいない。
いたら連日TV番組で食材や清掃の豆知識を披瀝するプロアマたちは需要がなくなってしまう。

で、大事なのは一般人がそれらを調べないのを揶揄することではない。


日用品に関しては、「そのものが担う機能を果たすこと」が一番重要視されるという点が大事なのだ。


だから、機能さえ果たせば中身はぶっちゃけどうでもいいのである。(断言)

洗剤は汚れが落ちればいい。消毒液は菌が死ねばいい。
野菜や肉はまあおいしければいい。それが果たすべき機能だから。


機能さえ果たせば大体の場合中身は短絡してよいのだと思う。

で、これを酒に当てはめてみよう。

酒が日用品になったとしたら、その機能はおそらくふたつだろう。


ひとつに、旨ければよし。


ふたつに、酔えればよし。

それさえ果たせば、殆どの場合中身(≒詳細な知識、バックグラウンドなど)は短絡されるのである。

だから、酒が普及して日用品と呼べるレベルになったとしても、酒の知識は普及しない。普及するとは限らない。

もちろん中には興味を持って調べて極める人もいる。だがそれは稀だし、単純に母数が増えれば増えるものではない。(先程の洗剤や食べ物の例を考慮すればわかりやすいと思う)


で、はい。ここから先が更に言いたいことだけれど。
但し書きもしたが、その現状を糾弾したいのではない。

あと、知識や詳細が短絡されうるからといって無意味なのではない。

意味はある。

知識と中身は確かに広まりにくいが、しかし知っているコアな人、いわゆる超一流の人々の中では共有されている。
そしてそれは未来に影響を与える。
今現在の酒の知識は最先端の酒のプロによって共有され、物づくりや物売り、物の提供に役立てられている。

つまり、意識していないけれど確かに影響を与えているのだ。

『プラダを着た悪魔』という映画で主人公が魔女のような女性アパレル経営者(?)に「ファッションなんて興味ない!」と啖呵を切る場面があった。
その場面の数秒後に主人公はその女性に言われる。「あなたが着ているその服は○○の頃のトレンドで~…△△が発表した…なのよ」と。

(ごめんちょっとうろ覚え)

ま、何が言いたいかって短絡されていても事実そういう知識や中身によって製品は支えられていて、背景には脈々と先人たちが築いた大河があるということ。

その知識(と、ここまでくるともはや「実践の積み重ね」とかもかな?)の蓄積がなければその日用品だと解釈されるものたちも存在しなかった可能性があるということ。

(ここで「だから何?」と言われると厳しいんだけれどね。)

いいんだ、なんか感じてくれる人がいると信じて続けるよ。

だから、今現在「知識や中身」について語っている人はとてつもなくすごいってことなのだ。どこまでいってもそれを短絡させずに語って、鬱陶しがられても重要性を強調する。

その姿勢には覚悟がいる。だってそれは多分ほとんどの人にとっては昨日だけでいいものだからだ。「何してんの?」って言われて当然、みたいなね。

うん、そういうわけだからなかなか特殊で、その努力すごいなって思うよ。


ただ、日用品にしようと努力するのも、知識を強調して訴えるのも、どちらも尊いとは言えるけど質は違う。

その質の違いは正しい、間違っているという軸で評価されるのではなく役割分担だといいたいけれど、なかなかこれはわかってもらえないんだよな…。

僕はどっちに行くのかわからない。
最近特に悩んでいる。
どっちが向いてるのかとかもわからない。

とりあえず、今日の酒いっぱいを笑顔で飲むのに精一杯だ。今は。


ああ。

旨い。

いいね。

これは一体何でこういう味がするんだろうか。

いやあとにかく旨いね。なんでだろうな。




酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。