6年前の今日僕は。(後編)

まだ走っていた。松島まではあと10キロあった。

走ったのだ。

いや、嘘だ。途中からは歩いた。

いや、それでも結構走った。

いや、いや、いや。

とりあえず、また順を追って話そうか。
 

仙台中心部から離れると、しばし田舎の風景続く。
境目はもちろんジョイフル。

ジョイフルは都会の真ん中にはない。それを知ったのはもう少し後だったけれど。車で県内を回るようになってから知った。郊外に行けば行くほど多くなる。

さっきから走るこの道は歩道がそれほど広くない。車道が広い。車が自分よりもずっと速いスピードで走る。トラックは少し怖い。あと臭い。排気ガスだ…。

それにしてもここまで止まらずによく来たものだ。
自棄になって始めたランニングの思いがけない持続に、自分で驚いていた。

カナル型のイヤホンは耳にへばりつくのにすっかり飽きたらしい。さっきからもう何度も耳に入れ直しているけれど、全く入らない。

サンボマスターが何か、叫んでいた。初夏の湿気を吹き飛ばすかのように。

しかし飛ばず、憂鬱の根は深かった。
 
 

またファミマがある。前に歩道橋。右にラブホ。

ああ田舎だね。

下を向いてため息を吐いた。肩で息してるのに。無駄息だコレは。下を向くと卒論を思い出す。それだけで内蔵が締め付けられる思いがした。実際締め付けていたのかもしれない。

別れた彼女は何をやっている。
同期の男と付き合ったと聞いた。

僕は走っている。僕は走っている。

思い返すと一人称を強いて「僕」に変えたのはこの頃だった。髪も染められない、変にグレられないユウトウセイ。星の名前ではない。優踏生。舞踏ではない。優等生。悲しいかな。

自意識を発散させることができないから、小さな変身願望。

何を変えたかったんだ?

今もわからない。なぜなら僕は今でも「僕」と言っているからだ。多分過去を振り切るというのはただの慣用句・スローガンなのだろう。

過去を振り切る人なんていない。
そのフリができている人を、フリができることを指して大抵の場合大人というのだろう。

と、言っている間にも脚は動いて。

利府だ。

利府って、宮城以外の人は知ってるのだろうか。

仙台中心部から東に10数キロ。大きいイオンと映画館、あとはとっても広い競技場やアリーナがある。生きるのに必要なものがコンパクトなエリアにまとまっており、飲食店もある。

そして、僕がバテ始めたエリアでもある。

心肺機能に心配はいらない。脚が死んでいる。膝の裏が硬化した。痛い。伸ばしたいが伸ばしたら千切れそうだ。きっと鈍い音がする。

ラーメン屋がある。市役所?が見える。
シャツはもう一滴の汗も吸い取れない。

息切れた後に喉が焼けてくる。そうして焼けただれたところを優しく飲み込むようにして、ハイが来る。

ああ中学生の頃の校内ランニング以来だ。ハイだこれは。気持ち悪い楽しさがやってくる。

何を楽しいと勘違いしたのか身体や。
僕は特に楽しくはないぞ。

意味もないランニングの終点で空想のゴールテープを切れば、同時に就活と卒論の現実のゴールテープが遥か彼方に張られる。音がする。ビィーン、と。自分の首を絞めかねない。

しかし?だから?
今は走っていたい。特に楽しくはないけれど走っていたいのだ。不思議と。

利府の街を抜け、警察機動隊の白バイ訓練所を過ぎたあたりで急に梨を売る小屋が増える。

営業はしていないが、梨小屋。シーズンではないのだろう。多い多い。500メートル刻みくらいで小屋がある。これのせいで初めは「利府」ではなく「梨府」ではないかと思った。

梨で儲けた殿様でもいたのではないか。伊達政宗傘下にきっと梨大名がいて、梨御殿や梨城下町を築いたに違いない。

疲れているときにはどういうわけかくだらない妄想が捗るものです。そのしょうもなさを笑う余裕も、ないのにね。

梨小屋とともに増える。坂道。登り、下り。カーブ。ストレート。途中にデイリーヤマザキや怪しいスナックがある。デイリーヤマザキはその後潰れた。たしか潰れた。車で通った。助手席には誰も座ってなかったから左に見えた。潰れた様が。

その奥に潰れたSummerが…、いや、なんでもないです。

少々の田んぼと、タイヤが取られて宙吊りになったクラシック・カーが見えた。。狭い歩道と蒼い森。今「青い森」と書いてから「蒼い森」と書き直したのだが、これはなにかマンガを思い出したからではない。御庭番衆など私は知らない。

私ではない、僕。

卒論が書けないのはプライドのせいだった、と何度もnoteで書いている。それは事実だ。

だけれどもその時僕はそのプライドの残り滓で歩を進めていた。

進めても、何にもならない歩。
と金にはなれない。
何しろ敵陣が不明確だ。むしろ自陣こそ敵陣ではないのか。

何を言ってるかわからない人は「将棋 ゴキゲン中飛車」で検索してみてほしい。もっと何を言っているかわからないから。僕もわからない。

さあゴールが少しずつ近づいている。
と言ってもゴールしたことがないしそのアングルから松島を見たことがないから、想像でしかない。

グーグル先生はその頃まだ「先生」と言うには物足りなかった。グーグル講師といったところだろう。非常勤で情緒が不安定だ。ついでにここらへんは電波も悪い。不安定だ。

最後右に曲がってからのアップがえげつない。少し田んぼと民家がある。えげつない。

アップの中盤に「ようこそ松島へ」みたいな看板がある。葉が絡まってる。素敵なお出迎えだ。

ダウンもえげつない。アップの次にダウンをつくった神は人を苦しめる術をよく心得ている。素敵なお出迎えだ。

緩やかな、いや急なダウンカーブ。

カーブ。カーブ。

松島。夕日の。松島。

この写真は松島の船着き場のもの。だからその時見た夕日そのままではないのだけれど…。
息が完全に切れて、膝が逝って、ハイを超えて灰になったとき振り返って見た夕日。

きれいだった。

こんなのも食べた。帰りは電車だった。眠った。折り返しそうになった。帰って風呂に入ったら脚が固まった。すぐに寝た。

まあ、なんかよかったよ。その後12月末まで就職が決まらないし、提出期限の朝まで卒論も書き終わらない。気になる人は彼女になるけど血みどろの争いになる。

それでも生きている。

まあ生きていけるでしょう、と今日も空を見つめられるのは、もしかしたらこの両足で踏む一歩一歩が確かに松島とつながっていることをその時知ったからかもしれない。

あるいは、全ては運であって、幸運なだけだった。

うん。

後者の方が好みの考え方だな、と6年経ってそう思うよ。努力で苦しんだあの日の僕よ、さようなら。

おれはなんとなく今日も生きて、天ぷらを揚げている。

ま、頑張り給え。フハハハハ。

スーパードライの酸が効く夜に。乾杯。おわり。   

(※ちなみに今日のアイキャッチは松島ではありません。みんなのフォトギャラリーから使わせていただきました。高知ってタグがついてました。でも、ちょっと似てる。)

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